日本が泥沼にはまってしまったのはなぜ?
アメリカに追い詰められた日本は、対米交渉を開始するが、アメリカの強い姿勢もあっ て、事態は好転しなかった。
太平洋戦争勃発
昭和16年秋、近衛に代わって、陸軍大臣の東条英機が組閣、ついに対戦を決意する。
陸軍大臣が総理になり、完全に臨戦体制に入ったな。。。
12月8日、日本海軍の連合艦隊の艦載機がハワイの真珠湾を奇襲して、太平洋戦争が始まった。
日本の戦略目標は南洋資源の確保であり、その戦略の名目として、欧米列強からアジアを解放するという大東亜共栄圏を提唱した。
日本軍は、開戦から約半年の間、イギリス軍 やオランダ軍、アメリカ軍を破り続け、彼らの植民地だった東南アジアの大半を勢力下に置いた。
初めは、日本の快進撃が続きました。
だが、日本軍の快進撃もそこまでだった。。。
ミッドウェイ海戦で主力空母部隊が全滅、
ガダルカナル島の攻防戦では、激しい消耗戦を強いられた。
昭和18年になると、日米の工業力の差が戦況に影響をおよぼしはじめる。
当時の日本の工業力は、アメリカより一桁下だった。
アメリカは、サイパン島での戦いに勝利すると、日本本土空襲を開始。
昭和20年になると、日本の東京、大阪をはじめとする都市が次々と空爆により破壊された。
アメリカの巨大爆撃機Bに対抗できる戦力は、すでに日本にはなかった。
8月、アメリカは広島、長崎に原爆を落とし、壊滅的被害を与えた。
その二発の原爆投下の間に、ソ連軍が日ソ中立条約を破って満州に侵入してくる。
ポツダム宣言受諾
昭和20(1945)年8月15日、日本政府はついにポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。
こののち、日本は連合軍最高司令官総司令部の統治を受けることになる。
GHQの統治
実質的には、 アメリカ太平洋陸軍の総司令官であるマッカーサーの総司令部、つまりはGHQによって統治された。
GHQの統治のもと、財閥解体指令や農地改革指令などが出され、婦人にも参政権が与えられた。
日本国憲法の制定
GHQの最大の仕事のひとつは、日本国憲法の制定だった。
GHQは、当初は日本政府に新憲法の草案作りをまかせるが、できあがった草案はGHQを満足させるものではなかった。
そこで、GHQは自らチームを編成して、憲法を起案する。
そのGHQ案をベースとして日本国憲法案がつくられ、国会を通過、昭和21(1946)年11月3日に公布された。
主権は天皇から国民へとうつり、戦争の放棄がうたわれた。
GHQによる日本統治が終わったのは、昭和26(1951)年のことである。
サンフランシスコ平和条約
サンフランシスコで講和会議が開かれ、日本は自由主義陣営の48の国と条約を結ぶ(サンフランシスコ平和条約)。
日本は独立を回復すると同時に、日米安全保障条約を結び、アメリカの駐留軍は徐々に縮小されていくものの、日本に置かれたままとなった。