奈良の唐風文化から国風文化へ

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この時代にいくつも生まれた傑作文学とは?

前回の話

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平安時代は、日本の長い歴史の中でも最も女性の感性が重視され文化が発達した時代です。この頃に国風文化という独自の文化が生まれ、有名文学や和歌集がたくさん生まれました。

 

平安時代の傑作文学

平安時代の王朝文学を代表する作品に、紫式部の『源氏物語』がある。

『源氏物語』は 華麗なる恋愛絵巻であるとともに、世の無常を感じさせる文学でもある。

 

同時代に、清少納言は随筆『枕草子』を残し、

藤原道綱母は『蜻蛉(かげろう)日記

菅原孝標女は『更級日記』と いう日記文学を著した。

 

これらの傑作文学は、作者が女性であり、ひらがな主体で書かれたところに共通点がある。

 

国風文化とは

 

平安中期以降の文化は、「国風文化」と総称される。

奈良時代、平安初期の文化は、唐文化の影響下にある唐風文化だった。

tazaki
tazaki

これまでは唐の真似だったけど、

国風文化では独自のスタイルを生み出し始めたんだね。

紫式部の時代(10世紀後半)には、日本に合うスタイルに進化させていたのだ。

 

その国風文化のもと、ひらがなを自由に使うことを許された女性たちによって、国文学が隆盛したのである。

tazaki
tazaki

ひらがなは女性しか使えなかったの?

彩葉
彩葉

元々、漢字の一部から「阿」から「ア」、「伊」の人偏から「イ」、「宇」のウ冠から「ウ」という具合にカタカナが生まれて、それをさらに崩したの平仮名なんだけど、

 

漢文は「男性が身につけるべき教養」であったことから、

男性は漢字とカタカナ、女性はそれらを学ぶことが避けられたため「ひらがな」で書くようになっていたの。

 

だから、平仮名を女性しか「使えなかった」というより、

女性しか「使わなかった」の方が正しいかな。

 

和歌も盛んになり、延喜5(905)年には、最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が、紀貫之らによって編集された。

国風文化は、またの名を藤原文化ともいう。

 

紫式部、清少納言らの活躍の背景にも、藤原氏の存在があった。

藤原氏は、娘を天皇の妃とすることで権力を握ったが(外戚戦略)、娘を天皇の妃とするには、教養を身につけさせなければならなかった。

 

紫式部も清少納言も、もとは藤原氏が娘たちの家庭教師として雇った才女たちだったのである。

tazaki
tazaki

こんなところにも藤原氏の息が吹きかかっていたのか!

平安時代は、もはや藤原時代だなあ。。。

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院政の始まり
天皇家が藤原氏から権力を奪還する時代前回の話藤原氏の外戚政策による栄華の時代を終わらせたのは、院政である。それは、ふとした偶然から始まった。院政のきっかけ時の最高権力者・藤原頼通は、娘・寛子を後冷泉(ごれいぜい)天皇に入内(じゅだい)させて

 

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