天草四郎という16歳の少年が一揆のリーダーになれたたった1つの理由

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天草四郎は「宣教師のお告げ」でカリスマになった

こんにちは、tazakiです。16歳って言ったら今では全然少年ですが、昔で言ったらけっこう大人だったのでしょうか?16歳がカリスマ的な魅力で多くの農民たちを率いた理由は、彼が予言者が予言していた救世主扱いされていたからでした。

キリシタン一揆(島原・天草一揆)とは

「島原・天草一揆」を言う言葉を、歴史の教科書でも見覚えがあるかと思います。日本の歴史上最大の一揆です。

江戸時代初期1,630年代、九州地方は毎年のように凶作に見舞われ、餓死するものが絶えませんでした。にもかかわらず、年貢の取り立ては厳しく農民の不満は極限に達していたと言います。

それに加えて、島原藩のある肥前島原半島と、寺沢堅高が領する唐津藩の飛地・肥後天草諸島の領民の農民はキリシタン弾圧という迫害にも苦しんでいました。

1637年、農民たちは圧政と迫害に耐えかねてついに蜂起、島原・天草一揆が勃発。

なぜ16歳の天草四郎がリーダーになれた?

その盟主の座についたのは、キリシタンの間でカリスマ的人気を博した天草四郎(本名:益田四郎時貞、天草は旧来天草の領主だった豪族の名)という16歳の少年だった。

小西行長の家臣の子にすぎなかった少年が、一揆の象徴となったのは次のような宣教師の予言があったからである。

その予言は 1613 年の禁教令によって国外退去命じられた宣教師マルコスフェラロが残したもの。

 

宣教師
宣教師

当年より25年目に、美しい子供が現れ、応験天にあらたかに野山に白旗たなびき、諸人の頭に十字架を立て、東西に雲の焼くることあはん。

 

この予言によって、民衆達は25年後の救世主の出現を待つようになった。それからちょうど25年目に、留学先の長崎から戻ってきたのが、天草四郎だった。伝えられるところによると、四郎は多くのの目の前で奇跡を行ったという。

様々な奇跡を起こした

例えば彼が天を仰いで、十字を切ると、一羽のの白鳩が舞い降りて卵を産み、その中から天主の画像や経文が現れたという。おそらく、手品のようなトリックを使ったか、作り話だったのだろう。

しかし当時、こうした奇跡が宣伝されると、農民たちは四郎こそ救世主だと信じて、宗教的な高揚感の中、彼を象徴として一致団結し、幕府を散々に苦しませたのだという。

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