室町時代の北山文化

ブログ漫画

足利義満が建てた金閣寺の姿には、どんな意味があるのか

前の話
https://history-wisdom.net/manga/nanbokutyo/

南北朝の統一

南北朝の混乱を収拾したのは、三代将軍・足利義満である。

tazaki
tazaki

3代将軍の時代まで混乱は続いていたんだね!?

南朝側は、年を追うごとに北朝を擁立する足利幕府側に押され、

明徳3(1392)年、ついに皇位をあきらめる。

南朝の後亀山天皇が、北朝の後小松天皇に譲位するという形をとって、南北朝は合一した。

 

その後、足利義満は足利幕府の全盛時代を築く。

有力守護の土岐氏、山名氏、大内氏らの力を次々と削いでいった。

 

永和4年(1378)には、

京都の室町に花の御所と呼ばれた邸宅を築き

そこで政務をとった。その地名から、

室町幕府、室町時代という名称が生まれた。

義満が目指した通商国家

義満が目指した国家像は、通商国家だったといえる。

 

その目標はある程度実現し、

彼は大陸の明帝国との通商開始にこぎつけ、巨利を得た。

 

義満の時代を象徴するのは、

彼が京都の北山に建てた邸宅・金閣である。

 

その後、寺院となったため、現在では金閣寺の名で有名な建物だが、

その一階は平安朝以来の寝殿造、二階は和様、三階は禅宗様の建築となっている。

 

公家文化と武家文化の融合は、この時代の文化全体の特色といえ、

金閣のあった土地の名から、北山文化と呼ばれていく。

 

北山文化の時代とりわけ盛んになったのは猿楽能である。

 

猿楽能はもともとは滑稽な踊りだったが、

義満が寵愛した観阿弥・世阿弥父子によって

芸術の域にまで高められ、それが今日の能になる。

 

また、茶の湯も盛んになりはじめ、足利義政を中心とする東山文化の時代に、

村田珠光によって宅茶に発展、安土桃山時代の千利休によって完成された。

 

次の話
https://history-wisdom.net/manga/kakitsu/