日本の長時間労働は奈良・江戸時代の勤務時間から続いている
勤勉な日本の仕事の生産性が低いことは、よく話題に上がるようになって来ています。真面目なのはいいことですが、真面目すぎて自殺していては元も子もありません。一体いつから日本はこんな国になったのでしょうか?長時間労働のルーツは、実は江戸時代、さらに遡って、奈良時代から続いています。
現代の日本の働き方の問題
現代の日本には様々な問題があり、改革の必要性が叫ばれています。
OECD加盟国の中でも生産性は低い
長時間労働の国、日本。先進国の中でも労働生産性は下位にランクインしています。
一人当たり労働生産性は、2015年のOECDの調査によると、OECD加盟国35カ国中22位、、、(→2017年データでは35カ国中20位。)
世界3位の経済大国でありながら、効率は悪いということ。
勤勉。といえば聞こえはいいですが、果たして真面目に勤勉に働くことが美徳なのでしょうか。
私はそうは思いません。短く、ぱっぱと仕事を終わらせて成果をちゃんと出して、あとは家族や恋人との時間を大切にした方が幸せに決まっています!
それに、日本の人口、特に生産人口(15〜64歳)は絶対に減り続けるのに、一人当たりの生産性を高めていかなきゃ、どうするんでしょうか。
日本は世界でも時間生産性が低い国。過労死。自殺。電通など大企業での過労事件。慢性的な睡眠不足。
これらの問題がはびこっています。
プレミアムフライデーってどうなの?
ありましたね、プレミアムフライデー。実際に早く帰れた人は3%だとか!しかも大企業のみ。まあ初の取り組みだから最初はこんなもんなんでしょうかね。会社員としては心踊る取り組みだとは思いましたけどね。
働き方改革とは
日本の最重要問題の一つでもある働き方問題。
賃上げの実感なし
2018年の春闘では、大企業のベア(ベースアップ:基本給底上げ)は進んでいます。しかし実感としては乏しい状況です。
電機春闘は2017年まで4年連続ベア(ベースアップ)しましたが、その実績は、
実績(円) | 要求額(円) | |
2014年 | 2000 | 4000 |
2015年 | 3000 | 6000 |
2016年 | 1500 | 3000 |
2017年 | 1000 | 3000 |
減ってきてますね〜。しかし電機は各社ごとの業績がばらつきがあるとのことなので、これでも厳しい賃上げだったのでしょうか。
そして2018年もさらに全体的にベアはされていますが、それでも実感には乏しいです。特に相変わらず中小企業では実感は全くなし。
長時間労働の問題も解決せず
ヤマト運輸の事例のように、長時間残業も問題になっています。
私も定時上がりは厳しい会社の会社員の立場ですので、気持ちはわかります。「終わらせないと!仕事ですから!」「高度プロフェッショナル制度」という残業代なし長時間労働合法化制度も始まります。この制度、年収が1,075万円以上の専門業務を行う人に限られていますが、この年収の基準が下げられる可能性もあります。
1000万円以上の富裕層ならまだしも、600万円、400万円の人まで「高プロ制度」に当てはめられて残業代0が合法化されたら完全に奴隷社会となってしまいます。
欧米が羨ましい
欧米の方達は、ルーズな面もあります。無理しない。
朝もゆっくり来る国も多いんだとか。日本人は勤勉なのはわかるけど、それで苦しんでたら本末転倒なのではないか、そう思います。
では昔はどうだったか。さて、本題の歴史の話に入っていきます。
奈良時代の残業制度
まずは、時代は遡って奈良時代。現代社会では、残業も当たり前になっていて、これを「おかしい」と考えることは一般の仕事の感覚に反すると思われています。
「仕事なのだから、お金をもらっているのだから、終わらなければ残業をするのは当たり前」
「仕事が遅いから残業をしているのに、それで残業代まで求めるとは何事かー」など、
事情は色々あるとは思いますが、昨今、日本でも働き方が見直されてきているのは、それが問題であるということを、社会全体で認識し始めたからであると考えられます。
この残業という仕事文化はいつからあるのか?歴史的視点から見て見ると、奈良時代にも残業はあったようです。それも江戸時代に続き「下の身分の者だけ」だったようで、しかも現代よりもひどいかもしれません。
奈良時代の階級
奈良時代の階級制度は、(上位)正一位〜正八位〜初位(下位)までの30階級に分かれていました。それも、実力ではなく、完全に家柄やコネによって身分が決まっていましたので、現代よりひどいかも?
一位〜三位までが「貴」
四位〜五位までが「通貴」
〜〜〜〜超えられない壁〜〜〜〜
六位以下の下級役人が「非通貴」と呼ばれていました。
この六位以下の下級役人が3600人くらいいて、常勤職員の「長上官」が600人、非常勤職員の「番上官」が3000人いました。長上官なら年間240日、番上官なら年間140日勤務することで評価の対象になり給料をもらえました。
六位以下の身分は残業だらけ!泊まり込みも
大宝律令の注釈書である「古記」によると奈良時代の役人たちの朝は早く、朝6時半には勤務を開始しなければならかったようです。勤務時間は長くなく、午前中の3〜4時間が通常の勤務時間でしたが、下級役人だけは残業として午後も仕事をしなければなりませんでした。さらには、下級役人の中には朝早いにも関わらず泊まり込みで働かなければならない人もいたと言われます。
六位以下の身分の生計の立て方は農業とのダブルワーク
下級役人でも評価をあげれば昇進することができたのですが、それでも年収の上昇は緩やかで、正七位まで昇進しても、年収は今の500万円に満たないほどでした。そのため家族で農業を営むことでなんとか生計を立てていたようです。
江戸時代の労働時間は人によって色々
そして江戸時代まで進みますが、相変わらず労働階級は長時間労働をしています。
太陽と共にする生活
江戸時代は、基本は日の出とともに起きて働き、日の入りとともに仕事も切り上げていました。
さらに、昼休みだけでなく、10時と15時にも休みがあって、実質的には平均8時間くらいの労働時間だったそうです。
自然と共に生きるサイクル。健康的ですね。いいですね。
さらに、職住接近で、通勤時間は短い。そして天気が悪けりゃ仕事は休みです。
江戸時代でもサラリーマン職業は長時間労働
しかし、番頭や手代といった、今でいうサラリーマンたちはそうはいかない。
7時〜19時の12時間労働は当たり前。
丁稚奉公のブラック労働
丁稚奉公はもっときつい。空も暗い時間から起きて、深夜まで片付けや雑用。
14〜16時間働くこともあった。
江戸時代の働き方の総合評価
そんな厳しい環境もあれば、同じ商人でも、売れ行きがよければ早仕舞いし、昼過ぎに帰る業者もいたといいます。まあ江戸時代は総じて、今よりはかなりのんびりした労働環境ではあったと思います。でも、一部の商人、丁稚奉公なんて大変なものですね。ここまで大変とは思いませんでした。
これからの時代はどう働くべきか
とは言っても江戸時代の、全体的にのんびりした環境からは現代の労働環境は考えられません。奈良時代、江戸時代に共通して言えることは下級の人間ほど長時間労働を強いられているということです。
今のような長時間労働の礎ができたのは行動経済成長時代です。しかし当時は「モノ」を作れば売れて、稼げて、成長し続けられた時代。しかし長時間働いてモノをたくさん作れば稼げる時代は終わりました。
これからはひらめきと効率の時代です。
ヤマト運輸の例もそうですが、自動化などが進んでいきます。
じゃあ人間はどうするのか?そのうち仕事なんかしなくても良い時代になるんじゃいかとか、個の時代になるとか、聞きますが、これはまた別の記事で書いていきたいと思います!
ーーーーーーーーーー追記ーーーーーーーーーーーーーー
これからの時代の働き方に関する記事を書いてみました。ぜひご覧ください!
コメント