日本は大戦前夜の外交戦でどこで失敗したのか。
いよいよ緊張感高まる第二次世界大戦前夜
全体の流れをしっかり覚えていこうね!
第二次世界大戦前夜
ところが、国際連盟は日本を制裁することができなかった。
それが、ドイツのヒトラーや、イタリアのムッソリーニ、ソ連のスターリンら独裁者の野心を刺激して、第二次世界大戦勃発の遠因にもなっていく。
日本は、国際連盟脱退後、さらに満州への進出を強め、中国との関係が緊迫。
昭和12(1937)年、ついに中国との全面戦争に至る。
日中戦争の始まり。。。!
盧溝橋事件
北京郊外の盧溝橋で、日中両軍の小競り合いが発生し、それが全面戦争に発展したのだ。
その後、近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」という声明を出したため、日本は交渉相手を失って和平の機会を逸し、戦いは長期化していく。
第二次世界大戦勃発
一方、ヨーロッパでは、ヒトラーのドイツがオーストリアを併合、チェコのズデーデン地方に進駐したのち、昭和14(1939)年秋にポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まった。
日独伊三国同盟
可愛いイラストで洗脳ってか。。。プロパガンダこえ〜。。。
翌年、ドイツはフランスを屈伏させ、ヨーロッパ大陸の大半を席巻したので、日本は
「バスに乗り遅れるな」を合言葉にドイツに近づき、
昭和15(1940)年、日独伊三国同盟を締結する。
しかし、それはアメリカを敵に回す外交決断だった。アメリカは中国に接近し、日本は米中相手に太平洋地域で孤立した状況となった。
やがて、アメリカは日本への経済制裁を強めてくる。
国家総動員法
その間、日本国内では日中戦争を戦っていたこともあって、戦時体制が急ピッチで完成されようとしていた。
日本の軍部や官僚は、第一次世界大戦で国家総力戦の凄まじさを観察していただけに、これからの戦争に勝つためには国民総動員体制が必要と見ていたのである。
ドイツ流の統制主義こそ生き残りの方法と考え、昭和13(1938)年には近衛内閣のもと、国家総動員法が発布され、国家は議会を通さずに、国民を統制できるようになった。
一般人まで巻き込むなんて今考えると本当に危機的状況って感じ。。。
日本経済は統制経済化され、国民生活はどんどん不自由になっていくのであった。
ここから先は読み進めていくのが辛くなってくるな。。。