なぜ日本はつかのまの繁栄をえたのか?
日本の大正時代は、民本主義と訳された大正デモクラシーという言葉に象徴される。
デモクラシーはいつ頃から流行ったの?
大正デモクラシーの生みの親は、大正3(1914)年、
およそ100年前に勃発した第一次世界大戦だったといえる。
第一次世界大戦は日本の地位が上がった時期なんだよね
この大戦中、ヨーロッパでは空前の大量殺戮戦が展開された。
日本も参戦はしたものの主戦場はヨーロッパだったので、大きな被害を受けることはなかった。
それが、ヨー ロッパの衰退と日本の地位の相対的な浮上をもたらした。
日本が五大国の仲間入り
極東の小さな島国だった日本は五大国の一つに数えられるまでになりました
大戦がドイツの降伏によって終結し、大正8(1919)年、パリで開かれた講和会議に、日本はアメリカ、イギリス、フランス、イタリアとともに五大国として参加した。
幕末から、植民地化の脅威にさらされてきた日本が世界列強の仲間入りを果たした瞬間だった。
それ以前、大戦中の日本経済は空前の好況を呈していた。ヨーロッパの主要国が戦っている間に、日本はアジアを中心とする市場を奪いとったのだ。
それまでは、農業生産額が工業生産額を上回っていたが、大戦による景気で逆転。日本は工業国家に変化しはじめた。
第1次世界大戦
この対戦の構図は?
第一次世界大戦には、民主主義(デモクラシー)対 専制主義の戦いという側面もあった。
日本が加わったのはイギリスやアメリカの民主主義陣営側であり、そこから日本でもデモクラシーの気運が高まる。大戦による好景気で得られた豊かさが、政治参加を求める声を後押しした。
大正デモクラシーを理論化したのは、政治学者の吉野作造だ。
彼の唱えた「民本主義」は、普通選挙運動の理論的基盤となった。
それまで、日本の選挙権は一定額以上の納税者(男子)に与えられていたが、普通選挙は一定年齢以上のすべての男子に選挙権を与えることを求める運動だった。
大正14(1925)年、加藤高明内閣のもと、普通選挙法案は可決される。
また、第一次世界大戦中にロシア革命が起きて帝政ロシアが崩壊、世界初の共産主義国家ソ連が誕生する。
マルクス主義はすでに日本に流入していて、大正デモクラシー下の日本で、
社会主義政党をつくる動きが活発となり大正2(1922)年には日本共産党が結成されている。