縄文〜弥生時代のクニができるまで

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なぜクニが生まれたのか。

現代から数万年前、地球は氷河時代で、海面が低下し、日本列島は大陸と地続きになっていた。大陸からマンモスやナウマン象が日本列島に渡り、その獲物たちを追って人類は日本列島に渡ってきた。氷河期が終わり、地球が暖かくなると海面が上昇し、日本と大陸は切り離される。そこから日本列島の民たちは、大陸と異なる独自の文化を形成していくことになる。そうして約1万2千年前から縄文時代が始まる。これは、タイムトラベルできる歴女・彩葉(いろは)とtazaki の歴史を学ぶ旅である。
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縄文時代

彩葉
彩葉

ここが縄文時代ね。縄文時代っていうのは、縄目の模様が入った独特のスタイルの土器が、名前の由来になっているのよ。

tazaki
tazaki

へえ〜。それにしても寒いな。一体ここはどこなんだ。

彩葉
彩葉

ここの地域にしたのは行きたい場所があったからよ。あ、あそこに人がいるわ。

tazaki
tazaki

あ、本当だ。おーい、こんにちはー!

縄文人
縄文人

やあ。旅の人たちか。なんか用かい?

彩葉
彩葉

ちょっと歩き過ぎて疲れちゃって。。。少し休ませてもらっていいですか??

 

縄文人
縄文人

いいですとも。どうぞどうぞ。

三内丸山遺跡

縄文時代、人々がすんだ住居は竪穴式住居と呼ばれている。

そして、その縄文時代を代表する遺跡が、青森県の三内丸山遺跡である

tazaki
tazaki

だからこんなに寒いのか。

彩葉
彩葉

そうね。ここには数百人規模の集落があって、高さ15メートルほどの建物や広場の他に、ゴミ捨て場や墓場もあったと言われているの。

tazaki
tazaki

あ!ゴミ捨て場ってあれだろ!聞いたことある!えっとー、、、、、、、、、貝塚!!

彩葉
彩葉

うん!ゴミ捨て場の中でも、特に貝が多かったみたいで、そういうゴミ捨て場は貝塚と言われているわ。

tazaki
tazaki

すげえよな〜。当時の人たちにとってはただのゴミ捨て場だったのに、それが歴史を読み解くヒントになって遺跡として残っているんだもんな。

 

土器の革命

土器こそが、革命であったのだ。

tazaki
tazaki

へーーーー。。。

 

彩葉
彩葉

あ、あんまり興味ないでしょ。

全く、歴史は戦いだけだと思ってるんだから。。。土器の発明こそが革命だったのよ!

土器ができる前は、どんぐりやら栗などの採集、魚介類や肉の狩猟して暮らしていたんだけど、調理方法は、生、焼き、蒸しくらいだったの。

でも土器ができて、煮ることでイノシシ肉や鹿肉も柔らかく食べやすくなり、焼くのに向かなかった草や菜なども食べられるようになった。それらを一緒に煮れば、旨味が出て、鍋料理もできるようになったの。こうして食生活が豊かになると、人口も増え始めて、1万年前に縄文時代早期には2万人だった人口が、縄文中期には26万人にまで増えたの。

 

tazaki
tazaki

土器があって食生活が変わったから、現代までの発展があったんだな。1万年もあった時代だしなあ。

稲作

 

彩葉
彩葉

縄文時代は1万年以上続いて、もっぱら狩猟と採集の生活と、畑でアワ、ヒエ、キビ、エゴマ、サトイモなどの栽培も行われていたと近年では考えられているわ。そして、末期には稲作が始まったと考えられているわ。

稲作の起源は、インド北部のアッサムとも、中国の雲南地方とも言われるけど、長江流域から日本にまで伝わってきたの。

 

tazaki
tazaki

へえ〜。縄文時代はいつ頃まで続いたの?

彩葉
彩葉

紀元前3世紀頃から、次の弥生時代に入るわ。じゃあ次の場所へタイムスリップするわよ!!それ!!

<ビューーーーーーーーーーーン>

弥生時代

彩葉
彩葉

縄文時代から弥生時代にうつったのは、何と言っても稲作の拡大があったから。

tazaki
tazaki

稲作がそんなにすごいことだったの?

彩葉
彩葉

それまでは狩猟などで、獲物が獲れる時もあればそうでない時もあった。。。

でも、稲作が爆発的に広がり、人々の食事事情は変化。お米から安定的にカロリーを摂取できるようになったの。そして、土器の形状なども変わってきた。

 

 

tazaki
tazaki

縄文時代は、土器は縄目模様だったよな。弥生時代の土器は違うってこと?

彩葉
彩葉

そうよ。弥生土器の特徴は3つ覚えておけばいいわ。

 

弥生土器の特徴

  1. 薄くて固い・・・技術の進歩で、より頑丈になった。稲などを被せて作ったので、赤褐色が多い。
  2. シンプルなデザイン・・・縄文土器に比べて、シンプルで質素なデザインに。
  3. 「弥生」で見つかった・・・京都文京区弥生で見つかったことが名前の由来。
tazaki
tazaki

なるほどなあ〜。稲作が広まって技術も進歩したんだ。あとは、どんな変化があったの??

ムラが生まれた

 

彩葉
彩葉

稲作にはたくさんの人の協力が必要だったから、至る所でムラができたこと。

それはやがてムラ同士の争いを生み、金属器(武器)が普及していたこともあって、激しい戦いが勃発したわ。

 

 

吉野ヶ里遺跡

 

彩葉
彩葉

ここが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡よ。

国の特別史跡に指定されていて、およそ50ヘクタールにわたって残る大規模な環濠集落跡で知られてる。環濠集落っていうのは、集落の周囲に堀を作ってるような集落で、敵のムラから、自分たちのムラを守るための工夫ね。

 

 

tazaki
tazaki

なるほど。。。ムラ同士の争いが生まれたから、住居にも防御的機能が備わったわけか。。。

 

彩葉
彩葉

そういうこと〜☆

繋がりが分かってきた?ただの暗記にしないで意味や繋がりを理解すれば、歴史は退屈なものじゃないの。それは人間の歩みを描いた、壮大なドラマになるのよ。

 

tazaki
tazaki

そういう風に教えてもらえると歴史って面白いな。単調な授業とか退屈だったからさあ〜。この次はどうなるの?

 

彩葉
彩葉

多くのムラ同士が連携したり、支配、被支配関係が生じることによって、クニが生まれるの。そのクニの一つ、邪馬台国が次の舞台ね。。。

第2話はこちらから♫

邪馬台国の歴史と謎に包まれた卑弥呼の生涯とは
古代日本の女王、邪馬台国の卑弥呼は多くの謎に包まれた生涯を送りました。しかしその実態は、呪術の力を保つために幽閉された女王でした。そのため、意外と地味な生涯を送ったのではと、考えられています。死後は、娘の台与が女王を継承しました。
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