クラークの『少年よ大志を抱け』の名言には続きがあった!?

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クラーク博士の名言の続きとは?

 ” Boys be ambitious ” 『少年よ大志を抱け』と翻訳されるこの言葉は、札幌農学校の初代教頭を務めた、ミディアム・スミス・クラークが、学校を去るときに残した言葉と言われています。しかしこの言葉は本人の発言ではないだとか、続きがあるとか様々な逸話があり、定かではありませんでした。

本人の発言ではなかった説

あまりにも有名な名言ですが、本当にクラークが言ったのかどうかについてははっきりしないと言われます。証拠となるのは、別れの場面に立ち会った人々の言葉ですが、教え子の内村鑑三や、新渡戸稲造などがクラークのことを書いている文書の中に、この名言に関する記述は一切ありません

唯一、名言に関して言及してるのが、教育者の大島正健のみです。彼自身の講演の中で、クラークの言葉として紹介し、その講演の記録が同窓会誌に掲載されて、世の中に広まっていったと言われているのです。

この大島の発言も本当だったのかは、一概には信用できません。まず彼がクラークとの別れを惜しんだ漢詩に「青年奮起立功名」という文章があり、これが元となって生まれたのではないかと言う説もあります。

名言には続きがあった説

また、講演の記録によれば名言の後に” like this oldman. ” (この老人のように)という言葉が続いたとされています。「この老人のように大志を抱いてください。」と、クラークの教え子の教育者が講演で言った言葉が、誇大解釈されているとしたら、ニュアンスは変わってきますね。

実際にクラークが言ったのだとしても、クラークとしては、最後のはなむけの言葉として贈った言葉と言うよりも、気軽に言った発言にも取れます。それが名言と言われるまでになったのは、当時の軍事的指導と拡大解釈が重なった結果とも考えられます。

ちなみに、クラークが初代教頭を勤めた札幌農学校の校則は、彼が定めた「Be Gentleman (紳士であれ)」の一つだけだったと言います。本質をついたシンプルな校則ですね。これを考えると、「少年よ、大志を抱け」の名言も、やはり本人の言葉なのかなという想像もできます。

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