男色(ホモ・ゲイ)は歴史上は普通だった!?

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人物
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西郷隆盛・織田信長・武田信玄も男色(同性愛)の趣味があった

今の時代では、LGBTの話題なども普通にニュースに載るようになったり、同性愛者の芸能人なども普通に活躍していて寛容になったような雰囲気が出ています。しかし、歴史上では男色(いわゆるホモ、ゲイ)は普通にありました。そんな歴史上の男色の実情をまとめました。

今、大河ドラマで話題になっている西郷隆盛をはじめ、武将では武田信玄、織田信長、上杉景勝などの武将たちの間でも、子姓を相手とした衆道は普通でした。

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西郷隆盛は数々の男に手を出していた

西郷隆盛と言えば、幕末に活躍した英雄の一人で、2018 年大河ドラマ『せごどん』の主人公ですが、山田顕義という男をはじめとして美少年が大好きだったようです。

明治政府初代司法大臣

山田顕義という、将来は明治政府の初代司法大臣になった男が 24 歳の若かりし頃、西郷はその容姿に一目惚れしたと言います。西郷は山田の手を取り、

 

西郷隆盛
西郷隆盛

君は実にヨカ美少年なり

 

と言ったそうです。イメージがないですね。

坂本一族

坂本龍馬の一族の、坂本源三郎にも惚れていたと言います。源三郎は、周囲でも評判の美少年でした。西郷はそんな源三郎を気に入って、

 

西郷隆盛
西郷隆盛

薩摩に連れて帰りたい。

 

と言っていたそうな。

僧侶

西郷がまだ吉之助と名乗っていた頃に、幕府に追われて京都から来た月照という僧侶と共に、海に身を投げたことがあると言います。抱き合った状態で海に飛び込んでいたことから、月照との間にも関係があったのでは、と言われます。

戦国武将たちの男色の趣味

そもそも現代から考えたら、

 

tazaki
tazaki

え、西郷隆盛マジか、、、

 

と僕のように思った人もいるかもしれませんが、昔の日本では、けっこう普通のことだったようです。多くの有名な武将や志士たちも、子姓(こしょう)と呼ばれる幼い男子をそばに置いて、身の回りの世話や、「衆道(しゅどう)」すなわち男色の相手をさせていたと言われます。

甲斐の武田信玄

『甲斐の虎』の異名を持つ武田信玄ですが、衆道の相手として、春日源助(がんすけ)という男がいました。この男は実は、のちに武田四名臣の一人として数えられた高坂昌信です。

織田信長

織田信長は、森蘭丸(もりらんまる)という子姓がいました。また、前田利家も衆道の相手だったと言います。そのような小姓たちは元服すると、有力な配下の武士になったと言います。前田利家も、そんな過去を周りに自慢していたという説もあるほど、男色は普通だったのでしょう。

東京でも同性愛を認めている

せごどん効果もありとてもこの記事が読まれているので、ちょっと同性愛を「色物」っぽく扱うようなタイトルとけにもなっているのですが、

事実としてこのような事が日本でも起こってきています。

2015 年 11 月 5 日に、同性カップルを結婚に相当するパートナーとして認める「パートナーシップ証明書」「パートナーシップ宣誓書受領証」の発行を始めました。

ただし、どちらも法的拘束力のあるものではなく、不動産屋や病院に、同性カップルを家族とみなすよう促すのが狙いです。

また、携帯電話会社のdocomoやKDDIでは、同性カップルを家族割引を適用するようになるなど、明らかに社会の雰囲気は変わって来ています。いずれ、日本でも、同性結婚が法的に認められる未来も遠くないかもしれません。

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