北辺探査と蘭学隆盛の時代

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間宮林蔵の北方探査

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金権主義を批判された田沼意次だが、

彼の政策は、その後の日本の領土問題に大きな影響をおよぼしている。

田沼が、蝦夷地を開拓する構想を抱き、北辺探査に力を入れたからだ。

tazaki
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北方領土は重要な問題。

田沼意次が目をつけた北方探検の歴史

田沼の目を北方に向かわせたのは

仙台藩の医師・工藤平助が著した『赤蝦夷風説考』 という書物だった。

 

北方探検で活躍した人物たち

工藤平助はこの鎖国下の時代に、長崎のオランダ人と交友のある

蘭学者などから入ってくるロシアの情報をまとめ、

老中・田沼意次に提出、江戸期の海防論の先駆者となった。

 

この工藤平助から蘭学の知識、国防論の刺激を受け兄事し『海国兵談』を著したのが林子平だ。

 

同書では、赤蝦夷(ロシア)との交易や蝦夷地の可能性が説かれ、

その主張に触発された田沼は、最上徳内らを蝦夷地に派遣する。

彩葉
彩葉

江戸時代は樺太、千島列島を含む北海道の辺りを蝦夷地(えぞち)を呼んでいたんですね。

 

最上は千島までを踏破、最上の後継者、近藤重蔵も探査に活躍し、

その流れは間宮林蔵に受け継がれる。

樺太の発見

間宮は、樺太から海峡を渡って沿海州に達する。

そのさい、間宮は樺太が島であることを確認したが、

それはロシアすら知らない地理的発見だったので、

後世、樺太と沿海州間の海峡には間宮海峡という名がついた。

 

なお、その間宮が測量を学んだ人物が、伊能忠敬である。

伊能は日本全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させている。

 

田沼時代の蘭学の発展

また、田沼の時代は、蘭学が興隆した時代でもあった。

すでに、徳川吉宗の時代に蘭学は導入されはじめていたが、

田沼の時代に開花、隆盛期を迎える。

 

医者の前野良沢と杉田玄白は、解剖書『ターヘル=アナトミア』を辞書抜きで翻訳し、

『解体新書』として出版した。

tazaki
tazaki

これは有名だよね。それまでの医学書よりも大幅にリアルにバージョンアップ!

杉田玄白
杉田玄白

苦労して書きました。

それが一つの突破口となって、蘭学は日本人にとって比較的学びやすい学問になる。

以後、西洋の学問・文化が蘭学を通じて、知識人には知られるようになる。

tazaki
tazaki

だんだん学問が発達してゆくのか〜!!

蘭学塾も生まれ、大坂では緒方洪庵が適塾を開く。

後に緒方門下から、福沢諭吉、大村益次郎ら、

幕末・明治維新に活躍する者が現れてくる。

 

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