政党政治は、経済危機に対処できた?
この時代になってくると、たった100年くらい前の話なんだよね。
歴史的に考えるとつい最近のことのように感じるよね。
でも本当に大事なのはここからよ。まだまだ気を引き締めてね。
大正デモクラシーは、大正末から昭和初期にかけて選挙で選ばれた第一党から首相が選ばれるという政党政治を実現する。
しかし相次ぐ恐慌に見舞われるなか、それは短期間で力を失っていく。
昭和恐慌の始まり
うわ〜この写真知ってるよ。昭和恐慌の時だろ?
社会全体に金融不安が会った時に、当時の片岡直温蔵相が
「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」
と失言したことをきっかけとして金融不安が表面化して、多くの中小銀行を中心として取り付け騒ぎが発生したのよね。
取り付け騒ぎってなんだっけ?
金融制度に対する信用不安から、
多くの人が預金や貯金を一気におろそうとこんな風に並んだのよ。
一気に降ろされたら銀行も現金がなくなってパニックになっちゃうでしょ。
政党政治のスタート
日本の政党政治は、大正3(1924)年、憲政会の加藤高明が首相の座について本格的に始まる。
以後、立憲民政党の若槻礼次郎や浜口雄幸、立憲政友会の犬養毅や高橋是清ら、第一党の党首が首相の座につき、約八年間の政党政治の時代が訪れる。
ところが、その時代は恐慌の時代と重なっていた。
不運にも見舞われ、経済が回らない大変な時代に突入するの。。。
大正時代の経済不況
大戦景気が終了すると、その反動から戦後恐慌が起き、その後大正2(1913)年に関東大震災によって首都圏は壊滅、不況(震災恐慌)はさらに深刻化していく。
確か明治時代は紡績や製紙業で産業が発展していたけど、、、
輸出用の生糸・綿糸の価格が暴落し、大正8(1919)年頃、貿易は輸入超過に転じる。
さらに追い討ちをかけたのは1923(大正12)年の関東大震災。東京が大きな被害を受け、日本経済が麻痺状態に陥った。
うわ〜ひどいね。。。
油断は現代でもできないわ。
2011年東日本大震災。
2016年熊本地震。そして、今でも首都直下地震や、南海トラフ地震などが、30年以内に起こる可能性がどちらも70%と言われているの。。。
用心に越したことはないのよ。。。
そして、昭和がはじまるとともに金融恐慌が発生する。
昭和の不況
金融恐慌下、当時の財閥・鈴木商店が倒産する。昭和4(1929)年秋には、ニューヨークで株式が大暴落、世界恐慌が始まった。
金輸出をした結果、、、
ところが、昭和5(1930)年、立憲民政党の浜口雄幸首相は世界恐慌の最中に、 金の輸出解禁に踏み切る。
日本は第一次世界大戦中から金輸出を禁止し続け、それが国際収支を悪化させ、円安を招いていた。そこで、財界の声に応えて金解禁に踏み切ったのだ。
だが、それは
「台風が吹き荒れるなか、窓を開けるようなもの」
と評されたように、最悪のタイミングで行われた。
世界恐慌の真っ只中に金解禁したことにより、金流出が止まらなくなり日本経済は恐慌状態に陥った。それが昭和恐慌である。
昭和恐慌下、大卒者にすら職がなくなり、昭和6(1932)年には失業者が200万人にものぼった。
昭和6年末に組閣した立憲政友会の犬養毅内閣は、高橋是清蔵相のもと、金輸出を停止 し、経済の建て直しに着手する。
だが、国民の政党不信を払拭することはできなかった。