鎌倉幕府の成立

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源頼朝の鎌倉政権はどれほど強かったのか

前回の話
429 Too Many Requests

源義経が平氏を滅ぼしたあと、源氏のトップをめぐって権力争いが起きる。

平氏を打倒するにあたって軍事的に最も活躍した源義経と、その兄・源頼朝による対立だ。

 

後白河法皇は、最大の功労者の源義経を、

頼朝の対抗者に仕立てようと画策する。。。

 

源頼朝の力を削ぎ、あわよくば源氏の共倒れ、、、

それによる朝廷の復権を狙ったのだ。

tazaki
tazaki

二人の対立は後白河法皇が共倒れを期待して画策したんだね。

頼朝と義経の対立

後白河法皇は、義経に頼朝追討を命じた!!

・・・・

ところが、武士たちは、後白河法皇の思うようには動かなかった。

tazaki
tazaki

え、天皇の命令を聞かないの??

彼らは、義経ではなく、頼朝こそ源氏の長・武門の棟梁であると考え、頼朝のもとに集結。

源頼朝
源頼朝

私の元には集まってくれるのです。

誤算を悟った後白河法皇は、今度は頼朝に義経追討の院宣を与える

 

この誤算によって、後白河法皇は源頼朝につけ込まれるスキを与えてしまう。

 

文治元(1185)年、頼朝は後白河法皇に迫って、義経追討を理由のひとつとして、全国に守護と地頭を設置する権利を認めさせた。

源頼朝
源頼朝

これにより私は、当時の権力の源泉である土地領有を保証する権限を握ったのです。

土地の所有こそ権力

当時は、土地の領有の裁定権こそが、権力者の力の源だった。

それを考えれば、この時点で武家の源氏が、朝廷・貴族から権力を奪取したといっていい。

彩葉
彩葉

そこで近年では、 鎌倉時代は、1192年からではなく、この1185年に始まったと考える研究者が増えているのよ。

このあと、後白河法皇の死後の建久3(1192)年、源頼朝は朝廷から征夷大将軍に任じられる。

それは、源頼朝の権力を追認するものであったといえる。

以後、武家の棟梁は、徳川幕府に至るまで、このポストを最高権力の象徴と見なすようになる。

義経は奥州へと追われた

なお、義経は頼朝との権力争いに完敗し、追われる身となる。

義経は、奥州平泉に王国を築いていた藤原秀衡(ひでひら)を頼る

 

奥州に一大勢力を築いた藤原清衡が1代目、2代目の基衡、そして3代目が秀衡です。

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秀衡は義経を保護するものの、秀衡が没すると、

藤原氏に対する頼朝の圧力は一段と高まり、

秀衡の子・泰衡(やすひら)は義経を殺害する。

 

それでも、源頼朝は藤原氏を許さず、討伐にかかり、

文治5(1189)年、藤原氏を滅亡に追い込んだ。

 

次の話
真の武家社会が始まった承久の乱
鎌倉幕府成立後の戦い前の話↓彩葉実は頼朝が征夷大将軍になったからと言ってもすぐに武士が支配する時代が訪れたわけではなかったのよtazakiえ、どうゆうこと?彩葉頼朝...
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