二宮尊徳翁の有名な教えの1つ「たらいの水の原理」

価値観

たらいの水の話とは

人のためを思って行った行為が、やがて結局自分に返って来るという事の例え話に、二宮尊徳(小学校とかの銅像にもありましたね)の言葉があります。
今回はその本当の意味をご紹介します。

二宮尊徳(二宮金次郎)とは

プロフィール

経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した、江戸時代の大変偉い人です。
経世済民とは、経済という言葉の語源でもあり、世を治め、民を救うという意味です。
報徳思想とは、経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元される。という意味です。
彼は、もともと災害で貧しくなってしまいましたが、努力する事で生家を再興させました。さらに、自分のみならず他の貧しい人々や村の救済も成し遂げ、幕府の役人にまで成り上がったんですね。
全国のあの銅像は、明治政府の政策で建てられました。子供達が、彼のように人のために努力を惜しまず、そして沢山勉強して出世するようにという思いで建てられたのでしょう。

名言:たらいの水


これは、二宮尊徳から7代目に当たるという中桐万里子さんが、彼の言葉の意味を解説した言葉を引用したものです。

人間は皆、空っぽのたらいのような状態で生まれてくる、つまり最初は財産も能力も何も持たずに生まれてくる。
そしてそのたらいに自然やたくさんの人たちが水を満たしてくれる。
その水のありがたさに気づいた人だけが他人にもあげたくなり、誰かに幸せになってほしいと感じて水を相手のほうに押しやろうとするんです。
そして幸せというのは、自分はもう要りませんと他人に譲ってもまた戻ってくるし、絶対に自分から離れないものだけれど、その水を自分のものだと考えたり、水を満たしてもらうことを当たり前と錯覚して、足りない足りない、もっともっととかき集めようとすると、幸せが逃げていくんだ、
というたとえ話だと教わった。

たらいの水とは、お金や物であったり、技術や能力、全ての自分が持っている物だ。
それをこれは自分の物だと独り占めしようとすると、幸せは逃げていってしまう。
逆に、それを他人にも分け与えていると、自分の方に戻って来る。という事を二宮金次郎さんは伝えたかったのかもしれない。
正直、自分はこの言葉の意味を考えれば考えるほどに、チクチクと突き刺さる。
なぜなら、人はやはり自分が大事だからだ。人に優しさを持つためには、まずは自分が幸せにならなければ、分け与えることはできないと考える。こんな言葉もある。

「貧すれば鈍する」

これは、貧乏をすれば、心まで貧しくなってしまうという意味だ。二宮金次郎にしても、まずは自分の生家の復興を優先したはずだ。自分の家もないのに、他人の救済などできないだろう。
まず自立。そしてから、独り占めせずに、他人へも分け与える。順番があると思った。
ただ、自立した者が、分け与えるで、さらなる繁栄に繋がるというのは、多分正しいのだろうとは思う。

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