なぜ将軍は戦争でいつも後ろの安全にところにいるのか

日本史

将軍は戦場で先頭に出ない理由

戦の時に、リーダー、大将たちがどうしていつも安全な場所にいるのかと考えた事は無いだろうか?私は考えたことがあります。偉そうに

「いけーー!!」

と、指示を出しておいて自分は後ろの方でゆったりと戦場を眺めているだけじゃないかと。
本当は、自分は弱っちいんじゃないか、怖いんじゃないかと、思いませんか?

お前が率先して戦って、部下たちにその闘い方を背中で見せるんじゃないのか!と思うわけです。

そこで調べてみました。

個人力で強かった武将たちは

ではもし、個人的な強さで強かった武将は一体誰なのか?有名な武将はたくさんいますが、それとはまた違う話になってきます。

本多忠勝

本多忠勝と言えば、生涯で 56 回の戦に参加し、ただの一度の怪我もしなかったほどに強かったと言われています。そしてこの兜をみてください。もうツノが、でかい、長いです。そしてもう一つ注目なのが、持っている槍です。これは「蜻蛉切り(トンボぎり)」と呼ばれ、トンボが触れたら切れたという逸話があるほど鋭い槍です。天下三名槍の一つに数えられています。

延沢満延(のべさわみつのぶ)

最上氏の家臣であった延沢満延は、かなりの怪力で、まさに個人戦をさせていたら最強だったのではないでしょうか?知名度もそんなに高くありませんので、フリー画像でも見つけられないレベルです(笑)

彼の武器は、刀や槍ではなく、長さが 150 センチもある鉄の棒だったそうです。そんな鉄棒を振り回して刀や槍を持った敵たちに勝てたということでも驚きですが、桜の木を引っこ抜いたという逸話もあるそうです。

組織の拡大に必要なこと

もちろんリーダー自らが最前線に立って、部下たちと共に戦うのも1つの戦い方だが、それでは永遠に組織を大きくすることができない。

会社でも、社長が、常に前線に立って、営業を引っ張っていく会社がある。初期の頃はそれでもいいかもしれないが、社長のマンパワーに頼っていては、いつまでも拡大することはできない

また、その社長が死んでしまった瞬間、会社も倒産してしまうことを意味する。会社が倒産すると言う事はその社長だけではなく、その会社が雇っている社員の生活、社員の家族も危険にさらされると言うことである。

そのためにリーダーは、何が何でも、安全な場所で生き延びていかなければいけないのだ。そこで必要なのは、個人戦の強さではない。智力も、仲間を動員する力も、政治力も必要になる。

そしてリーダーが安全な場所できちんと睡眠を確保し、じっくりと戦略を練ることが戦いに勝つための必須なのだ。

最近の映画でも話題になった、関ヶ原の戦いの西軍のトップ、石田三成もとにかく逃げて生き延びていた。

関ヶ原の戦いの後、徳川家康に敗れた時も、家康の家臣たちは

「切腹せずにのうのうと生き延びていたものだ」

と、彼を嘲笑したが、彼は最後の最後まであきらめない。

「切腹などいつでもできる雑兵のすることだ、負け犬がすることだ。」と言い返した。

打ち首の直前でも、三成は干し柿を勧められたが、「体に悪い」と言って断ったことをまた笑われたと言う。三成は打ち首が決まったその後でも、最後の瞬間まで、まだ可能性を捨てなかったのだ。どんなに無様だとしても生き延びることにこだわり自分の使命を諦めないのが真のリーダーである。

ついでに映画『関ヶ原』を観てきた感想記事はこちらです。映画での三成とはどんな男だったのか、興味のある方は読んでみてください。

 

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映画「関ヶ原」レビューそもそものあらすじと予習観たんですけどねー、、今回は、すごく歴史に詳しい友人と、あまり詳しくな...

 

鎌倉幕府を開いて源頼朝も、しぶとい男でありそのしぶとさが実って天下を統一した男です。これはまた別の記事で書いていきたいと思います。

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