坂本龍馬は 10 歳までオネショをしていた
坂本龍馬といえば、幕末のヒーローとして絶大な人気を誇っている、言わずと知れた志士です。歴史に詳しい方なら、幼少期は落ちこぼれでオネショも10歳頃までいていたという逸話もご存知ではないでしょうか?実は、そのオネショこそが、将来の偉業を予見させる事とも言えたのです。
落ちこぼれの子供時代
薩長同盟を結ばせ、江戸城無血開城からの大政奉還の考えを広めた、幕末の歴史に欠かせない男。それが坂本龍馬です。
しかしそんな男も、子供時代は全く逆のイメージ。
泣き虫で塾でも劣等生。
そのため臆病で、10歳を過ぎてもオネショをしていたと言われています(一説では9歳、15歳までしていたとも言われています)。
そんな少年が、
20歳前後には剣術の達人になり、
のちに日本初の貿易商社とも言える亀山社中(のちの海援隊)を作り、
当時の二大雄藩、薩摩と長州の架け橋にもなりました。
これだけの大器晩成さに、幼少時代のオネショが関係していた可能性があるのです!
オネショこそ大器晩成の証
龍馬の幼少期を知る身近な人物たちは、きっと龍馬のこのような将来を予測もしていなかった事でしょう。
強いて言えば、3つ年上の姉、乙女姉さんくらいではないでしょうか?
脳科学的は、オネショがなかなか治らない子供は、将来大物になる可能性があると言われています。
脳科学による裏付け
澤口俊之氏によると、オネショをしてしまうのは、前頭前野(人間の知性を司る部分であり、尿を我慢する機能も有する)の発達が遅れているためだと言います。
そして前頭前野は、幼少期の発達が遅いほど、大人になった時高度に発達するという調査もあるそうです。
つまり、
龍馬は幼少期の前頭前野の発達が遅かったため、オネショをしていた。
しかし、大人になってからの発達が著しく、誰も思いつかないような大政奉還のアイデアを考えたり、
日本中が国内の事で血気盛んになっていても、冷静に世界の中の日本という視点があった。
と考えられます。
まとめ
もし龍馬が普通の、土佐藩の郷士の子供で、大人になっても普通の武士だったら、今の日本はなかったかもしれません。
薩長と幕府で戦争を起こし、どちらも疲弊し国力が衰え、欧米列強の支配の手が迫っていた可能性もあるのです。
オネショ小僧だった龍馬が日本の歴史を変えた、、、
万事塞翁が馬です。
どんな事が後々吉と出るか凶と出るかはわからないものですね。