細菌学研究の場において、世界的にその名を知らしめた野口英世。
晩年、ニューヨークで暮らしていた彼の元に、日本からある本が送られてきたことがある。 その本の名は『発見王野口英世』
初の伝記も内容は作り話ばかり
それは、野口の生涯を綴った初の伝記であった。
だが、それを読んだ野口は「これは作り話だ」と一蹴。
なぜならその本は野口のことを完璧な人間として描いた、美談ばかりの内容だったからであった。
野口が地位を得るまでには後ろめたい出来事もたくさんあった。
そういう側面をなかったことにして聖人のよう に描かれたことに不満を示したのだ。
このエピソード はグスタフ・エクスタインが書いた『Noguchi』という本に記されている。
日本を代表する偉人になった理由
そして、このような描かれ方が野口をだんだんステレオタイプな偉人として持ち上げていく。
昭和初期、 野口は教科書に取り上げられるようになり、子供たちにもその名前が知られるようになる。
貧乏生まれの好印象
貧しい生まれから努力を重ねて偉くなったということでウケがよかったのか、戦争が終わると、それまでの偉人伝の中心的存在であった乃木大将や東郷元師などの軍事関係の人物が扱いづらくなり、代わりに台頭してきたのがほかならぬ野口だった。
そして野口は美談ばかり広められ、努力人として持ち上げられてしまったのだ。
そのように描かれたまま、本人の意に反して日本で最も有名な偉人の一人になってしまったのであります。
野口英世の言葉
最後に、野口英世の名言を載せていきます。
努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。
めちゃくちゃ努力マッチョな発言。まあ量が質を凌駕する法則はまず大事ですよね。
人は能力だけではこの世に立つことはできない。能力と共に徳義を持つことが必要である。
こういう人徳の話とかもする人なんだね。
名誉のためなら 危ない橋でも渡る
これ以外にも数多くの名言を残しているが、 自らの伝記に対して言いたかったのはこの名言だろう。綺麗事ばかりが人生ではないという事ですね。