1909年、ロシアのココッエフとの会談のため、 満州・ハルビン駅に降り立った伊藤博文が暗殺された。
犯人はその場で逮捕されたのは安重根。
韓国独立への願いを込めての凶行だった。ところが、この事件の真犯人は安重根ではなかった可能性があります。
伊藤博文はなぜ殺されたのか
韓国統監府初代統監だったから
伊藤博文自身は、韓国の併合に反対していましたが、韓国人から見ると、韓国統監府統監だったので韓国を侵略しようとしているとしか見えなかったのではないでしょうか。
統監の権力は凄まじく大きかった
当時、伊藤の立場は、韓国の皇帝を凌ぐほど権力を持つ立場でした。韓国では誰も逆らえないほどです。そのため、韓国人にとっては伊藤は侵略の元凶の見えていただろう。
韓国民の怒りの象徴のため
単に朝鮮民族の怒りを内外に示したかったという可能性もあります。そのための見せしめとして、韓国人に一番知名度が高く、一番権力のあった伊藤が殺されたのではないか。と思われます。
安重根の撃った弾丸はいずこへ?
安重根とは
大韓帝国時代の朝鮮の独立運動家です。韓国では、初代韓国統監である伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)が英雄視されている。
弾丸の先は
安が伊藤に目掛けてピストルを撃ったことは現場にいた誰の目にも明らかであり、公判でも毅然とした態 度で自分が射殺したと供述していた。
だが、伊藤に命中した3発の弾丸の弾道を辿ると、すべて右上から左下の方向に向けて撃たれていたと言われます。
伊藤博文の命を狙ったの位置から狙撃しなければ、この角度はありえない。
事件の裏にはロシア政府の暗躍が…
そこで浮上したのが安の弾丸は当たっておらず、別の位置から狙撃をした者がいたという仮説である。
それでは真犯人は誰か?
安の仲間とも考えられたが、彼には狙撃の腕を持った仲間はいなかった。
そうなると怪しいのがロシア政府だ。会談は当初、車の中で行なわれる予定だったが、突然の予定変更により伊藤は外に出るハメになった。
さらに、ハルビン駅には厳重警備を敷いたというものの、実際には安に潜り込まれている。
ロシア政府は安の存在を前もって知っていたのではないか?
あえて彼を泳がせておいて、別の場所から狙撃のチャンスを窺っていたのだろう。日露戦争の恨みをはらすための、ロシアによる暗殺と考えても、なんら不思議ではない。
まとめ
以上をまとめると、
- 安重根・・・警備が手薄で潜り込めた ・暗殺に成功したが死刑
- ロシア政府・・・安重根の存在を黙認 ・死角から暗殺した?
ということになります。