日本はなぜ朝鮮半島にこだわったのか?
明治時代の前半は、世界史的に見ると、帝国主義のまっただ中であり、
西洋列強はアジアやアフリカの諸地域を次々と植民地化し、大国・清も蚕食(さんしょく)していた。
日清戦争は朝鮮半島の権力を持つかどうかが重要だったんだよね
日本も西洋列強から身を守らなければならなかったが、そのためには朝鮮半島を確保することがきわめて重要と考えられた。
日清戦争の背景
当時、朝鮮半島には李氏朝鮮があり清の保護下にあったが、
その清が弱体化、李氏朝鮮も列強の前には無力だった。
南下姿勢を強めているロシアに朝鮮半島を奪われると、こんどは日本列島がロシアに対して無防備になることを意味した。
https://www.sekainorekisi.com/1894%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%9C%B0%E5%9B%B3/ より引用
北からは清は、南からは日本が、朝鮮へ攻め入っていたんだね。
そこで、日本は朝鮮半島に近代的な国家、
あるいは親日国家が生まれることを期待して、朝鮮半島に介入した。
その外交方針が、日清戦争、日露戦争という二つの戦争につながっていく。
日清戦争開戦
まず、日清戦争は、日本と清のどちらが
朝鮮半島に影響力を持つかをめぐっての戦いだったと言える。
ジョルジュ・ビゴーによる当時の風刺画(1887年) 日本と中国(清)が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている。(wikipediaより)
この日清戦争の風刺画は有名だよね。
教科書でも見たよね
甲午農民戦争
きっかけになったのが甲午農民戦争ね。
明治27(1894)年、朝鮮半島で農民反乱(甲午農民戦争)が起きる。
かつては東学党の乱と呼ばれたこの乱に朝鮮政府が対応できないでいると清が軍勢を送り日本も送り込んだ。
乱を収めたのち日本と清は対立を深め伊藤内閣は開戦を決意する。
下関講和条約
日本軍は清軍に連勝し鴨緑江を渡って遼東半島までが戦場となった
黄海海戦でも日本海軍は清の北洋艦隊を打ち破り、北京が危なくなった清は講和を申し入れる。
明治28(1895)年、下関で講和条約が結ばれ清の保護国であった朝鮮の独立が認められた。
さらに清は日本に対し台湾や毒湖諸島、遼東半島を割譲、2億両(日本円にして約3億円)を支払うことになった。
三国のプレッシャー
日本大勝利で賠償金も遼東半島もGET!
対外戦争に勝利したことに国民も沸き立った。
でもそれは一瞬の喜びだったの。。。。
すぐにロシアがドイツ、フランスを誘って、遼東半島を清へ返還せよという三国干渉に出た。
当時、ロシアは満州進出を狙っていたので、南満州の要地である遼東半島を日本に渡すわけにはいかなかった。
その時点では、日本がロシアをはじめとする三国に勝てるはずもなく、日本はやむなく遼東半島を清に返還する。
すると、ロシアは遼東半島を清から事実上奪いとり、旅順に大要塞を建設した。
台湾の統治
その一方で、日本は台湾の統治を開始する。
台湾に送り込まれた後藤新平らは、殖産興業に力を入れ台湾を日本同様、近代化させることを目指していく。