鎌倉仏教の広まり
さて、戦国時代に突入する前に、この頃の生活や文化について説明するね
あれ?今は室町時代まで進んできたんじゃないの?
なのに、「鎌倉仏教」の話なの?
実は、鎌倉時代に生まれた仏教が本格的に広まったのが室町時代なのよ。
平安仏教の衰退
鎌倉時代から室町時代にかけては、
宗教界に大きな変化が訪れた時代でもあった。
最澄と空海が開いた真言宗や天台宗といった既成仏教(平安仏教)は一時的に見離され、
浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗といった
新仏教(鎌倉仏教)を信仰する人が増えたのだ。
その背景には、旧仏教の限界があった。
平安時代までに成立した既成仏教は、
国家のための仏教という色彩が濃かった。
奈良仏教だけでなく、平安仏教の天台宗や真言宗もまた、国家を背景としていた。
既成仏教は国家や貴族を守護する宗教であり、民の救済には関心がなく無力であった。
だからこそ民を救おうとする新仏教が現れたのだ。
一般人向けの仏教が流行ったんだね。
新仏教の登場
新たな仏教には、次のような三つのタイプがあった。
第一に、念仏を唱えることによって
救いを得られるとした法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗
第二に、坐禅による悟りを重視した栄西の臨済宗、道元の曹洞宗の禅宗
最後に、法華経の教えを大切にした日蓮の日蓮宗である。
新仏教(鎌倉仏教)の広まり
それらの新仏教は鎌倉時代に誕生したが、その時代にはさほど広まらなかった。
臨済宗のみが鎌倉で執権・北条氏に支持され、盛んになった程度だ。
北条氏は禅宗である臨済宗を奉じることで、
天台宗や真言宗と結びついた京都朝廷と一線を画そうとしたともいえる。
残る新仏教が発展するのは、室町時代になってからのことである。
南北朝に始まる混乱のなか民は宗教に救いを求めた。
鎌倉時代に生まれた新仏教は、その願いに応えるものだった。
新仏教は多数の信者を獲得し、彼らからの寄付によって財力を築き、さらには政治的な力を持ちはじめる。
その典型が浄土真宗であり、やがて戦国時代になると、
その本拠地である石山本願寺はミニ国家の様相を呈するようになる。
また、臨済宗は室町時代にも幕府から支持されて、
雪舟に代表される水墨画、庭園の枯山水など、
同時代の文化に強く影響をおよぼす。