坂本龍馬は日本初の貿易商社(亀山社中)の社長だった

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坂本龍馬は日本初の商社の社長だった

坂本龍馬といえば、その名を知らない者はいませんね。坂本龍馬が設立した亀山社中(のちの海援隊)は、日本初の商社であり、日本初の株式会社という事になります。積極的に海外の会社制度、政治の仕組みを学んでいた龍馬らしい偉業です。

坂本龍馬

tazaki
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坂本龍馬!!いや〜好きな歴史上の人物ランキングとったら絶対ベスト3入るだろうね。おれも「竜馬がゆく」全巻読んだわ〜。竜馬はマジでカッコ良すぎる!最近では、教科書から名前が消えることがニュースになったよね。

彩葉
彩葉

それだけ日本の歴史に欠かせない名前だというイメージが社会に浸透している証拠ね。

脱藩し、亀山社中を結成

脱藩とは、国を捨て、家族すらも捨てるという重罪です。他の藩に入ることができる訳でもありません。誰に殺されても文句も言えません。

なぜそんなにリスクの高い脱藩をしたのでしょうか?当時の過激な尊王攘夷をすすめる上士の武市半平太との思想の相違が原因ではないか。

龍馬は土佐藩全部が変わることは無理だと考え、脱藩という選択をした。この後に時代は、自由に動ける脱藩者を、藩は諜報員として利用するようになり、黙認されるようにもなった。

tazaki
tazaki

現代で言うと会社を辞めるみたいな感じ?

 

彩葉
彩葉

路頭に迷うと言う意味ではそうかもしれないけど、そんな甘いものではないと思う。

だって、今の日本だったら生活保護とかで生きていけるけど、脱藩なんて誰も守ってくれなくなるんだよ?

 

 

tazaki
tazaki

そっか。相当、大変で覚悟がいることだったろうな。

彩葉
彩葉

強いて現代で言えばどんなイメージかといったら、「全く未知の領域で起業する。」くらいの冒険だったんじゃんないかな。

薩長同盟を調停する

そして話はだいぶ飛びますが、薩長同盟を結ぶ立役者となりました。薩摩の西郷隆盛や、長州の桂小五郎らの間を取りもちました。

亀山社中の歴史

彩葉
彩葉

やっとここから本題。坂本龍馬が作った亀山社中(のちの海援隊)の歴史を振り返るわよ。

tazaki
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日本初の株式会社を作ったと言われているのが坂本龍馬で、この亀山社中の事なんだよな。

 

創立理由

龍馬の師である勝海舟が設立した、「神戸海軍操練所」をルーツとします。航海術など、海洋知識修得を目指していました。しかし、反幕組織なのではないかという嫌疑から、解散させられてしまいます。

しかし、その練習生たちを龍馬貿易が盛んだった長崎をへ向かわせ、そこで亀山社中として貿易を行わせたのです。

活躍

長州征伐で活躍したユニオン号という軍艦を運用をしていたりと、貿易業に従事しながらも、倒幕を企図していた組織でもありました。

tazaki
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表の顔は貿易会社。。。しかし裏の顔は、倒幕を企んだ秘密結社だったのだ!・・・みたいな感じ?

1867年4月には、坂本龍馬の脱藩が許されて隊長となり、土佐藩に付属する外郭機関として「海援隊」と改称され認められる。

海援隊は土佐藩の援助を受けたが、基本的には独立しており、脱藩浪人、軽格の武士、庄屋、町民と様々な階層を受けいれていた。

「海援隊約規」には

  • 本藩を脱する者、および他藩を脱する者、海外の志のある者、この隊に入る
  • 隊運輸、射利、投機、開拓、本藩(土佐藩)の応援

 

とあり、利益の追求が堂々と掲げられていた。会社と海軍を兼ねた組織であり、航海術や政治学、語学などを学ぶ学校でもあった

 

国際法の先駆け

いろは丸沈没事件においては、紀州藩に賠償金を請求した坂本龍馬は国際法を武器に、徹底的に裁判で戦った。当時、日本では国際法が浸透しておらず、かなり先駆けと言える。

 

彩葉
彩葉

まさに、『知識は力』ね。

法を武器に、なんにも知識もなく、ただ幕府や藩の権威による驕り高ぶりで知識のなかった紀州藩を、龍馬は叩いたの。

カッコいいな〜

 

また、慶応三年七月に中岡慎太郎は陸援隊を組織する。

なぜ解散?

同年閏4月27日(6月17日)には、藩命により解散される。一番の原因は、龍馬の暗殺によって求心力がなくなったことが挙げられる。

tazaki
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やっぱり龍馬はカリスマだもんな。

しかし、薩長同盟という大きな目的は果たしての解散であった。

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