飛鳥文化と白鳳文化の違いとは

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日本が国になっていく時代に栄えた文化

大宝律令と平城京ができた理由
大宝律令や平城京はなぜ作られた?壬申の乱に勝利した天武天皇は、律令などの法を整備していった。それまでは、豪族の寄り合いのような政権だったが、天武天皇は、天皇を中心とする統治体制や法、そして大規模な都をもつ国家への脱皮をめざしたのである。天武
日本でも律令ができ、中国に習い、日本がどんどん国として出来上がっていく時代。文化の面でも、日本独自の文化を生み出していた。
彩葉
彩葉

飛鳥時代まで来たわね。今日は文化の勉強だよ!

tazaki
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飛鳥時代には、都ができて、法律も整えられて、どんどん都市化していったんだな〜。この頃の民衆の生活も一変しただろうね。

蘇我氏が全盛期を築いた飛鳥時代と、天武天皇・持統天皇の時代ーーーー。

それらは、日本での、本格的な文化が栄えはじめた時代でもある。

飛鳥時代には飛鳥文化、天武天皇·持統天皇時代の文化は白鳳文化と呼ばれる。

共通するのは、ともに中国渡来の文化を取り入れ、とりわけ仏教文化が隆盛を誇った点である。

飛鳥文化

tazaki
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まずは飛鳥文化。この文化の特徴は??

まず、飛鳥時代には、本格的な寺院建築が始まった。権力者たちは、仏教のすばらしさ を知らしめ、また自らの権力を誇示するために、巨大かつ荘厳な建築物を必要とした。

そこで、蘇我氏をはじめ有力豪族が競うように自らの氏寺を建てた。

彩葉
彩葉

その中で、現代もなお 創建時に近い姿をとどめているのが、世界文化遺産にも登録されている聖徳太子の法隆寺!

法隆寺は、金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。西院伽藍は、現存している世界最古の木造建築物と言われている。

tazaki
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この当時の日本の建築技術はすごかったんだな!!

白鳳文化

白鳳時代に入っても、仏教文化は栄えつづける。

薬師寺の東塔は、その時代の最高傑作 とされる建築物だ。

薬師寺の東塔は奈良県にあり、世界遺産にも登録されている。

彩葉
彩葉

白鳳文化は、お寺だけでなく、優れた絵画もたくさん生まれていたの。

法隆寺金堂壁画(こんどうへきが)には、インドのアジャンター石窟群の壁画や中国の敦煌石窟の壁画の影響が見られ、日本への仏教伝来ルートを垣間見ることができる。

6号壁阿弥陀浄土図(上部、焼損前)wikipediaより

 

また国宝でもある、高松塚古墳壁画などもよく知られている。

tazaki
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これが白鳳文化の有名な絵画ねえ〜。

文化の体系化した時代

白鳳時代は、言葉と文字による文化が本格化した時代でもあった。

天武天皇は国史の編纂事業をはじめ、約30〜40年の歳月を経て、奈良時代に完成する。まず、和銅5年に稗田阿礼と太安万侶によって『古事記』が完成、つづいて養老四(720)年に、舎人親王らによって『日本書紀』ができあがる。共に天武天皇の命令でできた書物だ。

彩葉
彩葉

ちなみに稗田阿礼(ひえだのあれ)という人は、とんでもない記憶力の持ち主だったらしくて、この人に暗唱させて編纂を行ったんだって。

 

そのうち、『古事記』は国の始まりから神武天皇、日本武尊らの活躍を語り、推古天皇の時代で終わっている。

『日本書紀』は、中国の歴史書を真似て編年体で書かれ、持統天皇の時代までが記されている。

次の話

仏教興隆と聖武天皇
聖武天皇が大仏造立を決意したきっかけは?前回の話では、飛鳥時代に聖徳太子の推進もあり仏教が盛んになりました。次の8世紀の大半の時代は、平城京を都とする奈良時代です。彩葉その奈良時代を象徴する一大イベントが、東大寺の大仏造立です。大仏造立奈良