真の武家社会が始まった承久の乱

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鎌倉幕府成立後の戦い

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彩葉
彩葉

実は頼朝が征夷大将軍になったからと言っても

すぐに武士が支配する時代が訪れたわけではなかったのよ

 

 

tazaki
tazaki

え、どうゆうこと?

彩葉
彩葉

頼朝が支配したのは主に東国だけで西国は朝廷の支配が相変わらず強かったのよ。しかも、源氏はたったの3代で滅びてしまったから、執権と言う地位に付いていた北条氏が長らく権力を持つことになるのよ

tazaki
tazaki

また入り乱れているなあ。時系列で教えてよ

彩葉
彩葉

わかった、わかった。まずは源氏の統一後の話からね。

戦い続ける北条氏

源頼朝によって生まれた鎌倉幕府だったが、

源氏政権は短命に終わる。

初代将軍・頼朝の没後、子の頼家が二代将軍になったものの、

軟禁されたうえに殺害され、

代わって頼家の弟の実朝(さねとも)が三代将軍の座につく

その実朝も頼家の子の公暁(くぎょう)によって暗殺され、

下手人の公暁も殺される。

彩葉
彩葉

公暁は父親の仇として実朝を暗殺したの。

 

源氏の正統の血は、ここで絶えてしまう。

 

tazaki
tazaki

え、もう源氏の血筋は終わっちゃったの?はやっ!!

でも、鎌倉幕府はもっと続くよね??

 

その背景で動いたと思われるのが、北条氏である。

 

源頼朝
源頼朝

源氏の血筋途切れてしまった、、、、泣

我が妻、政子よ、あとは頼んだぞ。。。

 

北条政子
北条政子

これからは私たち北条氏の時代よ。

源頼朝の妻・北条政子は北条時政の娘であり、

時政は挙兵時から頼朝を支え、

実朝の時代に執権の地位についた。

執権とは

執権とは、将軍を補佐するナンバー2の地位であり、

実朝暗殺によって源氏の血が絶えたところから、

執権の北条氏が、幕政の実権を握ることになった。

北条政子
北条政子

私の時代よ。

北条氏は、実朝の死後は京都から迎え入れた傀儡(かいらい)将軍を擁立。実権を掌握した。

tazaki
tazaki

傀儡(かいらい)って??

彩葉
彩葉

「あやつり人形」みたいなもんよ。

しかし、その二重権力制度は、幕府内で凄まじい権力闘争を生むことになる。

 

一般に、北条氏統治下の鎌倉時代はよく治まった時代とされるが、

こと鎌倉の北条氏の周辺では、果てしない抗争が繰り広げられた。

 

北条氏は、家格がさほど高くなかったため、

東国武士は北条氏に簡単には従わなかったのだ。

 

北条氏の権力独占に反発する武家は数多く、

北条氏は権力を握り続けるため、

次々と登場するライバルと戦い続けなければならなかった。

承久の乱〜勝敗を分けた決め手は?〜

「鎌倉幕府の誕生=武士による支配の時代の到来」

、、、と思われがちだが、じつはそうとは言い切れない。

tazaki
tazaki

やっと本題だなあ。

源頼朝が鎌倉に政権を築いた時点では、

鎌倉幕府の権力がおよぶ範囲は、東国周辺に限られていた。

西国では、まだ朝廷の支配力が強く、

日本の東西に別々の政権があるような状態がしばらくつづいた。

 

その状況を変え、鎌倉幕府による全国支配を完成させた事件が、

承久3(1221)年に起きた承久の乱である。

承久の乱の始まり

承久の乱は、後鳥羽上皇による鎌倉幕府打倒計画から始まった。

その発端となったのは、三代将軍・源実朝暗殺である。

 

源実朝は京文化に憧れ、後鳥羽上皇はそんな実朝に親近感を抱いていた。

天皇は実朝に力を与えることで、間接的に鎌倉幕府をコントロールし ようとも狙っていた。

 

その実朝が暗殺され、執権・北条氏の力がさらに強まった。

後鳥羽上皇は、北条氏とは相入れないと考え、

執権・北条義時追討の院宣を発した。

北条政子
北条政子

私が初代執権で、2代目執権が私の弟の義時です。

北条氏が天下を取る

鎌倉武士の多くは、当初、天皇家相手には戦えないと怖じ気づく。

そんななか、大江広元(元・頼朝の側近)が短期決戦論を唱える。

大江はもともと京都の下級貴族であり、朝廷の脆さをよく知っていた。

 

さらに、北条政子が武士らを激励・叱咤し、流れは一変する。

北条政子
北条政子

鎌倉武士たちが朝廷にビビっているから、私が尻叩いてやったのよ!!!

tazaki
tazaki

武士たちのオカンみたいな存在やな。笑

北条義時のもとに多数の武士が集まり、

幕府軍は各地で朝廷軍を破り、京都を占拠した。

北条義時は、後鳥羽上皇を隠岐、順徳上皇を佐渡、土御門(つちみかど)上皇を土佐に流した。

tazaki
tazaki

天皇家を島流しにするって、、、義時やるなあ。。笑

上皇が武家に流刑にされるのは前代未聞のことであり、朝廷の権威は崩れた。

さらに鎌倉幕府は、朝廷に味方した西国武士の所領を没収した。

東国の武士を領主のいなくなった西国に移し、

彩葉
彩葉

これによりようやく鎌倉幕府は全国を支配する政権となったの

京都には六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置し、

西国統治ににらみをきかせた。

 

こうして、武家による全国政権を確立した北条氏は、

泰時(義時の長男・3代目執権)の時代の貞永元(1232)年御成敗式目を制定する。

51カ条からなる武家の基本法であり、以後の裁判の基準となった。

その法思想は、江戸時代に至るまで引き継がれることになる。

 

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