のちに天下統一を果たす豊臣秀吉は若き頃、織田信長に仕えていました。その前には桶狭間の戦いの相手、今川方の配下である松下之綱という家臣に仕えています。その経験によって、今川側の内情に精通しており、桶狭間の戦いで活躍できたと言われています。
秀吉(木下藤吉郎)の経歴
桶狭間の戦いの時、秀吉は24歳で、織田軍にいたことは確実だと考えれられます。この頃は織田信長に仕えてから2年程度で、足軽をしていたようです。
秀吉がその前に仕えていたのが、松下之綱という今川家の家臣です。之綱は通称、松下加兵衛とも呼ばれており、今川氏の直臣・飯尾氏の配下でした。
桶狭間の戦いで昔の経験が役に立った
桶狭間の戦いは、織田信長が当時東海地方一の大名である今川義元を破った戦いで、信長が大名として一気にのし上がった戦いです。その時、信長の部下であった秀吉は今川側の力や内情を知っており、今川領の土地勘、情報網があったのでは?と、考えられます。
織田側は敗戦濃厚モードだが、今川は本陣が手薄
桶狭間の戦いの前までは、織田信長は敗戦ムードでした。今川義元陣営が織田側に流れ込み、織田にとって危うい状況が続いていました。それを逆手にとった信長は、今川義元の陣営が織田側の各城を攻めていて本陣が手薄になっていたことを良いことに、今川義元の本陣に奇襲を仕掛けました。
ついに敵の本陣を探し当てた
勝手を知っている地だった。
桶狭間の地は、そもそも織田信長にとって少し前までの勢力圏であり、味方の武将や信長本人も、土地の勝手を知っていたとも考えられます。そのため、どのようなコースで襲撃すれば良いか、どこに陣を取りやすい場所があるかを熟知していたと考えられます。
さらに、信長の統治能力が、地域の農民の安全を守っていたことで、そこの旧領民たちが情報網に一役買っていた可能性もあります。さらに、部下だった当時まだ足軽の秀吉が、情報を知っていた可能性が高いのです。
忍者による情報網
ちなみに、、、一説には、信長の部下の忍者である梁田政綱が、スパイ役として情報を織田信長に伝えていたから、本陣を探し当てることができたと言われます。
梁田政綱の活躍については、こちらの記事も!
まとめ
逆に今川義元の方は、秀吉のような、配下の配下のさらに部下の事など、存在も知らなかったでしょう。
戦国時代の資料である『武功夜話』にも、秀吉が今川領の駿河や三河に詳しかったことが伝えられています。『武功夜話』には後世の創作話も多いと言われていますが、この経歴を考えれば信憑性の高いことだと考えられます。
そのため、桶狭間の戦いでは相手の事情を知る秀吉は、情報収集役として使われていた可能性がありそうです。
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