鎌倉幕府の滅亡までの流れ

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鎌倉幕府の滅亡と建武の新政とは

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後醍醐天皇はどう動いたのか

鎌倉幕府は、元弘3(1333)年に滅亡する。

滅亡に追い込んだ主役は、後醍醐天皇である。

 

彩葉
彩葉

歴代天皇のなかでは、異色中の異色

最も強烈なキャラクターを誇る天皇よ!笑

 

tazaki
tazaki

……….変わり者ってワケか。笑

 

後醍醐天皇が登場するころ、

朝廷では皇統が二つに分かれるという事態が生じていた。

tazaki
tazaki

なぜそんな事態が起こったの?

お妙院統と大覚寺統であり、鎌倉幕府の助言によって、

両統から交互に天皇を即位させるという両統迭立がつづいていた。

後醍醐天皇は大覚寺統から即位すると、

両統迭立をつづけるのではなく、自分の息子を天皇の座につけたいと考えた。

 

加えて、平安初期の天皇親政を理想とし、その復活を政治目標とした。

 

すると、邪魔になるのは鎌倉幕府である。

後醍醐天皇は、鎌倉幕府の打倒を画策し始める。

二度にわたる倒幕計画は失敗し、隠岐に流された後醍醐天皇であったが、

話はこれで終わらなかった。

tazaki
tazaki

後醍醐天皇が島流しにあったというのはけっこう有名だよね。

彩葉
彩葉

でもしぶとい彼の本領発揮はこれからよ

楠木正成の活躍

流れを変えたのは、河内を根拠地にしていた、後醍醐天皇を奉じた楠木正成である。

楠木正成はまず赤坂城で挙兵、赤坂城落城後は千早城でふたたび挙兵した。

 

幕府は千早城攻めに大軍を送り込むが、楠木正成の巧みな戦術のまえに苦戦、

千早城をなかなか落とせない。

 

その間に、後醍醐天皇は隠岐を脱出する。

足利尊氏が六波羅探題を攻める

幕府軍の思わぬ苦戦は、満天下に幕府の脆さを知らしめることになる。

 

それが、各地の武士の中にくすぶっていた野心に火をつけた。

全国で反幕府(反北条氏)の機運が高まり、挙兵が始まった。

その流れを決定づけたのは、足利高氏である。

tazaki
tazaki

次期将軍きたーー!

源氏の名族である彼は、幕府の命で関東を出発するが、

京都に向かううちに倒幕を決意、京都の六波羅探題を攻め滅ぼした。

 

この一撃によって、鎌倉幕府の命運は決した。

一ヶ月後、同じく源氏の血をひく新田義貞が鎌倉を攻め

元弘3(1333)年、北条一族は滅び、鎌倉幕府は滅亡した。

 

幕府滅亡後、京都に復帰した後醍醐天皇は

天皇親政(建武新政)に着手する。

 

次の話
室町幕府の成立〜南北朝時代
なぜ南北朝という複雑な状況が生まれた?建武新政は、後醍醐天皇のワンマン政治だったので、大多数の武士はたちまち不満を抱きはじめ、新たなボスを求めはじめる。その筆頭となったのが、六波羅探題を滅ぼした足利尊氏(高氏からの改名)。足利尊氏は武士たち