邪馬台国女王・卑弥呼の生涯は意外にも地味?
タイムトラベルできる歴女・彩葉(いろは)とtazakiは、古代日本の邪馬台国の女王、卑弥呼の時代に訪れた。卑弥呼の生涯は謎が多い。しかしその実態は、呪術の力を保つために幽閉されていたため、意外と地味な生涯を送ったのではと、考えられている。。。
古代日本の文献は中国から
ねえねえ、古代の日本の初めての歴史的な記録は、日本にはなかったって知ってる?
え!?そうなの?(驚)
じゃあ教科書とかで勉強した色んな話って、、、
古代の日本について初めて文字で記録したのは、日本列島の人たちじゃなくて、古代中国王朝の人たちだったの。
後漢王朝の『漢書』地理志には紀元1世紀頃、倭人(日本人)の国は100余りに分かれていたんだって。
え〜!100以上もクニが分かれていたのか、、、
あと有名なのは、『後漢書』東夷伝は聞いたことある?
それによると、、、当時の倭(日本)の奴国(なこく)というクニの王の使者が貢物を持ってきたと書いてあるの。
後漢の都・洛陽を訪れて、光武帝から印綬(いんじゅ)を授かったそうよ。つまり、その頃は日本は小さな国だったから、すでに文明が発達していた中国の王朝に服従しようとしたの。
奴国は中国に迎合しようとしたんかな、、、?
うーん。でもその頃は、小国の集まりが日本だったからね。どうなんだろう。でもそのたくさんあったクニを統一したのが、邪馬台国の卑弥呼ね。
178 年から 183 年にかけて、倭国では大乱があって、その争いを納めるために対立しあっていた小国の首長らによって擁立されたのが卑弥呼ってわけ!
それじゃ!さっそく話を聞きにいきましょ!!
え、え、卑弥呼いるの?まじで?てか、会えるの?笑
卑弥呼の一生とは
こ、、ここが、卑弥呼のいる邪馬台国内のムラか。。。で、卑弥呼はどこにいるんだろう。
卑弥呼は人前に姿を現すこともなく、自らの居室にこもっているのよ。
幽閉された理由をめぐっては諸説あるんだけど、有力なのは「巫女としての呪力で力を維持するため」。当時の人は巫女が多くの人と接するとその呪力や霊力が衰えると考えられてたから。
えー!んじゃ、会えないやん。(ブーブー)
普通ならね。
でも大丈夫。ちょっと捕まってて。それっ!!!
<ビューーーーーーーーーーーーン>
ここが卑弥呼の部屋ね。あの扉の向こうだと思う。
(タイムトラベルするわ、瞬間移動するわ、この人何者なんやろう。。。)
ガチャ。
失礼しまーす。
(そんな普通に入っていけるもんなん?)
・・・・誰よ、あんたたち。。。。?・・・・・ていうかどうやって入ってきた。
(いやこれ、やべえやつだって。。。)あ、いや、その、、、、
私たち、あなたに少しお話を聞きたいと思ってお邪魔しました!(^_^)正面からは人がたくさんいて、、、、すぐお話聞いたら帰りますから!!
・・・・ふーん。。。。ま、いいわ。私、退屈してたところだから。それに、何かしようと思っても、あなたたちに私がやられるわけないわ。
ありがとうございます!!(^_^)
(いけるんかーーーーーい!!!!!)
私が女王になったのは、別にリーダーシップがあるわけでも、指導力があるわけでもないの。そんなのはむしろ弟の方が向いてる。
私は、巫女としての力を見込まれ、女王として擁立されただけ。
弟(他の男性説もある。)が、私の居室に出入りして、クニの情報を教えてくれたり、ご飯を運んだりしてるのよ。実際、人前で政治やってんのは弟よ。
そうだったんスか、、、毎日どんな風に過ごしてるんですか?
もーほんと毎日暇なのよー。
人にあったら呪力が衰えるとかみんないうからさー。
弟以外の人にあったのは、あんたたちが久しぶりよ。
(彩葉ちゃんが言ったとうりやな、、、)外にはあんまり出ないんですか?
あんたたちみたいに、本当は外の世界で自由にしてみたいのよ、、、
しかも私、生涯独身も決まってんだから。。。もー、本当に退屈だわ。。。あ、、でもこないだ(239年)、海の向こうの魏のクニから、称号をもらったのよ。えっと、、、そう、「親魏倭王」っていうね。こういう時は、王女やってて良かったわーーって思ったわ。
奴隷を代わりに何人か差し出したんだけどね。海の向こうの魏は文明がかなり発達していて強いクニだから。。。でも、こんなの王女じゃなきゃもらえないもの。仕方ないわ。
ガタガタ、、、「おい!!誰かと話してるのか!!なんの声だ!」
!!!!
逃げるわよ!!<ビューーーーン>
な!!??
ちょっと!!!俺は!!??置いてくなーーーーー!!!!
元気でねー。
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ごめんねー先行って。笑
tazakiくん足、速いんだねー。笑
ハア、、ハア、、どうも。。。。(あんたみたいに瞬間移動できねーからな!!!!こいつ、自分だけ先に、、、!!!)。。。。
中国の書物の話の通りだったわー、卑弥呼さん。
(淡々と話始めやがる。。。。)
あと、彼女はまだ知らないけど、彼女が老齢になってから、魏の使者たちが邪馬台国に来ることになってるわ。
『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は邪馬台国の女王として君臨し鬼道を操り、衆を惑わしたと言われているの。
でも、そう聞くとカリスマのような感じもするけど、彼女の様子を見ると、現実の卑弥呼の一生はけっこう地味なものだったんじゃないかな。
うん!私もそう思った!
ちなみに書物によると、卑弥呼を女王の座に据えてもも、その霊的な平和維持能力には限界があったの。
やがて、邪馬台国は南方の狗奴国と対立して、戦争状態に陥って、その最中に卑弥呼は死去したと書いてあるわ。
卑弥呼亡きあとの邪馬台国
卑弥呼亡き邪馬台国は、男王がたち、再び混乱する。その混乱を収拾するため、邪馬台国では、卑弥呼の娘の台与「とよ」(臺與)が女王として擁立された。これにより、乱は治った。
この時代の邪馬台国では、政治と呪術が密接に繋がっていたため、男性ではなく女性をトップにすることで平和を守っていたのだ。
ちなみに、邪馬台国の所在地は、北九州の説もあれば、畿内という説もある。結論は出ていないが、畿内説が有力になってきている。
え!?じゃあ、俺らはどこに行っていたの!!??
ふっふ〜ん♫♫♫
第3話はこちらから♫