「黄金の国ジパング」と呼ばれた理由についての考察

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なぜ黄金の国ジパングと呼ばれたのか

大航海時代の逸話より

コロンブスのアメリカ大陸発見、バスコ・ダ・ガマのインド航路発見など、当時力を持っていたスペインやポルトガルをはじめとする欧州諸国は大航海時代に突入していました。
その波紋が日本にも押し寄せたのが、1543年のポルトガル人来日です。1549年にはスペインの宣教師のザビエルや、交易を目的とした西洋人が訪れるようになりました。

マルコポーロの「東方見聞録」

西洋人の目的はキリスト教の布教や交易だけではありませんでした。それが、マルコポーロが1299年に書いた『東方見聞録』の記述の存在です。
マルコポーロが25年間に渡るアジア旅行で見聞したことをまとめた資料です。マルコポーロ自身は、日本には来ていません。しかし、中国で聞いた話として「ジパング」について書かれています。

住民について

ジパングの人間は、『色白で、偶像を崇拝する者(仏教徒)とそうでない者がいて、礼儀正しく穏やかである』と言われています。
それと同時に、『外国人を捉えた場合、身代金を要求し、金銭と交換して彼らを解放する。相応の代金が得られない場合は、捕虜を殺して食べてしまう。人肉は他あの肉よりもはるかに味が良いと言っている』と言ったような記述も見られる。

建物について

この国は、莫大な金を生み出し、宮殿や民家までもが黄金でできていると記述されています。まるで極東に浮かぶ黄金の楽園のように記されています。黄金でできた建物については、中尊寺金色堂についての話について書いたという説もある。

16世紀に入りようやくジパングが実在する島であることが知れ渡り、多くの西洋人は日本を訪れてみたいと思うようになったのです。

金銀財宝を大量に流出してきたから?

日本は金銀の流出に無頓着だったから『黄金の国』と呼ばれたとも言われています。
銀の採掘料が世界シェアの大きな割合を持っていた時期もあったのだが、ユーラシア諸国のように金が海外に流出することを厭わない、あまりにも危機感のない国だったからという説です。

幕末の通貨問題〜両替するだけで利益が出た!〜

元々日米修好通商条約では、日本通貨の輸出は禁じられていた。しかし、幕府が外貨と日本通貨の交換を嫌ったこともあり、日本通貨の輸出が認められるようになりました。この時の金銀のレートの外国との違いにより、日本から金が流出することになるのです。

外国の商人が、1ドル銀貨を日本の銀貨に両替し、それを金貨に変え海外に持っていくと、なんと3ドル銀貨の価値になったのです。ただ日本で両替するだけで稼げることがわかったので、結果として海外に金貨が流出してしまうことになりました。

このような幕末の例のように、海外からは金の流出を気にかけない国というイメージがついていたため、東方見聞録の『黄金の国』という言葉を皮肉ってそう呼ばれ続けたのではないか、と。そんな想像も膨らみます。

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