戦国時代の幕開け!どんな大名がいたのか?
応仁の乱以降、各地で一揆や、
国人による下克上が広がっていた。
戦国時代の始まりね
戦国時代のリアル
応仁・文明の乱以降、
日本は一世紀を越える乱世の時代を迎える。
戦国時代が到来したのだ。
その時代の主役は、むろん戦国大名である。
戦国大名の目的は
戦国大名は、それまでの守護や守護大名とはタイプの異なる統治者だった。
戦国大名は、基本的に彼らを守ってくれる後ろ楯(朝廷や幕府)をもたなかったので、頼れるのは自らの実力だけだった。
生き残るためには、自国経済を豊かにし、
領民を隣国の侵略・略奪から守らなければならない。
戦国大名は戦い続けなければならず、
逆にいうと、戦えない戦国大名は滅びるしかなかった。
戦国大名のタイプ
戦国大名の第一号は、
小田原を根拠地とした北条早雲(伊勢宗瑞)と言われる。
彼は駿河の名家・今川家の縁戚であり
今川家を足場にして隣国の伊豆に進出、戦国大名化した。
その子孫は関東一円に勢力を築き上げ屈指の戦国大名となった。
北条早雲は、戦国大名としては変わり種の履歴の持ち主だが、
多くの戦国大名は、次の三つのタイプに分かれる。
①守護代から戦国大名
一つは、守護代が戦国大名化したケースである。
守護大名が領国を留守にしている間に、
留守を守っていた守護代が国人衆を味方につけ、
守護大名を滅ぼしたタイプである。
越後の上杉謙信、尾張の織田信長、越前の朝倉孝景らがこのタイプね
②国人からの下克上した戦国大名
二つめは、国人が守護大名や守護代を滅ぼし、
戦国大名に成り上がったケースである。
山陽・山陰の覇者となった毛利元就がその典型で、
陸奥の伊達稙宗(政宗の曽祖父)、土佐の長宗我部元親、
のちに将軍となる徳川家康もこのタイプね
③守護大名から戦国大名に
三つめは、守護大名が戦国大名へと進化したケースである。
このケースは意外に少なく、薩摩の島津貴久、駿河の今川氏親、甲斐の武田信玄などです。
守護大名が下克上の中で生き残るためには、
自ら変わる必要があり、
それは下から成り上がる以上に困難な作業だったといえそうだ。
各地の戦国大名がひと通り出そろうと、
次は戦国大名どうしの潰し合いとなり、
トーナメント戦のような戦いを勝ち抜けた者が強力な戦国大名化した。
中日本から東国にかけては、
越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄、相模の北条氏康、
駿河の今川義元などが強大化する。
中でも、一時期最強と目されたのは今川義元だったが、
尾張の織田信長との桶狭間の戦いで敗れ、
勝った信長が一躍、戦国時代の主役に浮上する。