天下の家康上洛命令を拒否した直江兼続
直江兼続にはさまざまな逸話が残っているが、中でも国内の最大勢力だった徳川家康を激怒させた「直江状」のエピソードは、兼続を語る上で欠かせないものとなっている。
家康に対抗しようとした上杉景勝とその部下・直江兼続
秀吉の死後、家康は親豊臣派を取り込むなどして景響力を強化していった。
これに憤慨したのが上杉謙信 の息子・景勝。彼は家康に対抗して軍備を増強し、これに伴い部下である兼続も家康に対抗する姿勢を見せるようになっていたのだ。
兼続の動きを封じたい家康は景勝らの行動を非難すると同時に
徳川家康
上洛しろー
と求められるがが、兼続は拒否。
その後、家康は会津征伐を開始するのだがそのきっかけとなったのが「直江状」である。兼続は家康に、
直江兼続
武器を集めるのは茶碗を集めるようなもの
上杉を疑う徳川にこそ企みがあるのでは
と挑発的な返答で切り返し、家康を大いに怒らせたという。
現存する「直江状」は後世の写し?
ただ、この書状は国立古文書館に保存されているものの原本は残っていない。
そのためこのできごとは実在しなかったのではとさえ疑われている。
彩葉
実際、兼続が活躍した戦国から江戸の時代は偽書や怪文書が飛び交っており信憑性には欠けるといわざるをえないのよね
だが、家康の家臣の日記にも上杉家から書簡が送られ、それに家康が激怒したことは事実として記されている。
直江状自体の真偽は疑惑が残るが、兼続の度胸が並大抵でなかったことは確かなようだ。