室町幕府の滅亡〜トドメをさしたのは?〜

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室町幕府の幕が閉じるまで

前の話
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ヨーロッパ勢力がもたらした鉄砲と火薬を駆使して、

天下統一の寸前までこぎつけたのが織田信長である。

tazaki
tazaki

真打ち登場!

信長は、尾張の守護代の家臣であった織田信秀の子だ。

信長は父・信秀の死後、

血みどろの一族間の闘争に勝利して、尾張を統一した。

桶狭間の戦い

桶狭間古戦場

信長の飛躍のきっかけとなったのは、

ご存じのように永禄10(1567)年の桶狭間の戦いである。

当時、戦国最強と目された駿河の今川義元軍が尾張に侵攻、

信長はこれを返り討ちにして今川義元の首を取るという大戦果を上げた。

 

彩葉
彩葉

桶狭間の戦いで信長は一気にその名前が知れ渡ることになります。信長が有名になるきっかけの戦いです。

 

以後、信長は三河の松平家康(のちの徳川家康)と

同盟して東の守りを固めたうえ、

美濃攻略戦を展開、斎藤氏を美濃から追い出す

tazaki
tazaki

信長と家康は同盟関係だったんだね。

そこまでの信長の戦いは、

他の戦国大名と同様、領地の分捕り合戦だったが、以後は天下統一を目指す戦いになる。

信長は、京都に近い美濃に入ると「天下布武」という印判を使い、天下統一を意識する。

そこに、十三代将軍・足利義輝の弟・義昭が、明智光秀の仲介によって頼ってくる。

足利義輝は暗殺され、弟・義昭は流浪の身であった。

信長は足利義昭を擁して京都に進出した。

義昭の追放

当初こそ、足利義昭と信長は蜜月関係にあったが、

まもなく義昭は信長追い落としの策謀をめぐらせはじめる。

 

朝倉義景、浅井長政、武田信玄ら有力戦国大名による

信長包囲網」を完成させ、一時は信長を窮地に陥れる。

 

だが、信長にとって最大の強敵・武田信玄の病没もあって、

信長は危機を脱出、浅井長政、朝倉義景を滅ぼし、

天正元(1573)年、義昭を京都から追放した。。。

 

これにより室町幕府は滅亡、信長の時代が訪れる。

次の話
織田信長と豊臣秀吉の時代
天下統一までの「道のり」前回の内容はこちら安土時代室町幕府滅亡後の織田信長の時代を安土時代という。徳川家康との連合軍によって、宿敵・武田軍を長篠の戦いで破り、やがて武田氏を滅ぼす。一年に渡って抗争を繰り広げた石山本願寺との戦いも、天皇の仲介