日本経済を押し上げた最初のきっかけは?
太平洋戦争の被害により、日本の都市は崩壊、日本経済は破綻状態に陥った。
終戦後も 経済は大混乱し、インフレが進行した。
日本経済が本格的に復興しはじめるのは、昭和25(1950)年頃からである。
朝鮮戦争と特需
朝鮮戦争の勃発は、日本の浮上のきっかけにもなった。
同年、朝鮮半島で北朝鮮軍が韓国に侵入した。
アメリカを主力とした国連軍が韓国を守るために参戦、中国軍がこれに反撃するために北朝鮮側に立って参戦し、東西両陣営の最初の代理戦争状態となった。
米軍を中心とする国連軍は多くの物資を必要とし、日本はその基地となり、工場となった。その特需で日本経済は復興のきっかけをつかんだのだった。
昭和30(1955)年になると、日本経済は戦前の最高水準にまで立ち直った。
「もはや戦後ではない」という言葉が流行しました
以後、日本は高度経済成長時代に向かって葛進していく。
日本の国民総生産は、朝鮮戦争から昭和40年代後半のドルショックに至るまで、約20年にわたって、ほぼすべての期間、高い成長率を記録し続ける。
東西冷戦と高度経済成長
日本が高度経済成長できた背景のひとつには、東西の冷戦があった。
戦後まもなくから、1980年代の終わりまで、
アメリカを中心とする自由主義陣営
ソ連を盟主とする共産主義陣営
それぞれは対立し、日本はその間、日米安全保障条約のもと、軍備を最小限にとどめ、 経済活動に専念し続けた。
アメリカも、日本を自由主義・資本主義陣営にとどめておくため、日本の工業化、経済成長を歓迎したのだった。
さらに、日本には戦前からの技術の蓄積があり、それが家電を中心とする民生技術に生かされた。
さらに石油が安価な時代であったことも大きい。日本では、石炭から石油へのエネルギー転換が比較的スムーズに進んだ。
五十五年体制
国内政治が安定していたことも、経済成長に寄与した。
昭和30年、それまで2つに分かれていた社会党が統一、
その一方で自由党、日本民主党という保守政党も合同して、自由民主党が生まれた。
与党・自由民主党と、社会党ら野党勢力はほぼ二対一となり、そこ に一つの政治的均衡状態が生まれ、自民党による長期政権が続いた。
その状態は後に「五十五年体制」と呼ばれることになる。
所得倍増計画
昭和35(1960)年、日米安保条約の改定を阻止するための運動で、国内は揺れたものの、その後は池田勇人首相による所得倍増計画によって、日本人の多くは経済を優先させる政治を是とするようになる。
そうした政治の安定と国民の意識も、高度成長をもたらした一因だったといえる。