古代の脱税事情

日本史

古代にも税制度があったが脱税もあった

古代の『魏志』倭人伝によると、卑弥呼がいた邪馬台国には、税制がありました。5世紀には、天皇や貴族たちは「部民制(べみんせい)」により民たちに税を納めさせていました。

古代の税制度とは

大化の改新によってできた、中国を元とした租庸調が税として納められていました。大化の改新によって、民たちの税は重くなったと言えます。これで脱税が増えたんですね。

祖は米を

祖は田1段につき2束2把とされ、これは収穫量の3%~10%にもなりました。9月中旬から11月末までに納め、自分たちが食べるための米が減りました。国では災害時用の備蓄米を差し引いてから、国衙(こくが。律令時代に国司が地方政治を行う役所が置かれていた区画。)の財源とされました。

庸は労役を

庸は、正丁(21歳~60歳の男性)・次丁(61歳以上の男性)へ賦課され、衛士(えじ。宮中護衛の兵士)采女(うねめ。天皇や皇后の身の回りの雑事を行う女官。)の食糧や公共事業の雇役民への賃金・食糧に用いる財源となった。

調は特産品など

調は、繊維製品の納入または、地方特産品34品目または貨幣(調銭)による納入(調雑物)も認められていました。

その他にも21〜60歳の男性には60日の雑徭(ぞうよう)という公共事業の労働にも狩り出され、庶民たちは苦しみました。

脱税の手口は、戸籍のごまかし

脱税の方法は、基本的には戸籍のごまかしです。もっとも厳しい若い男性の戸籍を偽ることが多かったようです。

性別や年齢を偽るのが多い

多くの人は自分が老人であると登録したり、性別をごまかしたり、生きているのに死んだことにして税から逃れていました。

賄賂を使う者も

京や畿内は比較的恵まれていました。そのため、農民たちは京や畿内の戸籍に忍び込んだり、国司に賄賂を送って戸籍を移してもらったりして、税から逃れていました。

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