林芙美子の壮絶な人生
林芙美子(はやしふみこ)[1903~51]は、恵まれない幼少時代を過ごした後、高校卒業後、様々な職を転々とします。
愛情に飢えて育った環境からか、様々な男と同棲を繰り返しました。
・・・重そう。。。
独特の感性が才能を発揮し、書きためていた日記に手を入れた『放浪記』は、『女人芸術』に掲載され大ヒットし、60万部を記録します。昭和初期、世の中は女流文学に熱が入っていました。
人気作家になった後も様々な仕事を引き受けますが、膨大な量の執筆生活は、彼女の健康を徐々に蝕んでいきました。栄枯盛衰の文学界で、いつまでその人気が続くか、芙美子は苛まれていました。
肺を患っていた芙美子ですが、執筆活動をしながら、日に50本ほどの煙草を吸っていました。
そして、連載中の作品をいくつも抱えたまま、心臓麻痺の突然死でその生涯を閉じたと言います。代表作に仏印を舞台にした『浮雲』などがある。
なんか、凄まじい人生を送っているね。この人。。。
でもね、桜にまつわる言葉があるから、それを紹介したいの。そろそろ春が来るしね。
有名な短詩
花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき
この林芙美子の短詩の「花」は、若い女性や、恋愛、そして人生に例えられます。恋愛でも、人生でも、花咲くのはほんの短い間と言われます。
ドキドキするような恋愛も、いずれは愛になり、落ち着いたものになりますし、女性も、一番綺麗でいられるのは、基本的には若い時代です。この短詩が読まれたのは明治時代。
明治や江戸後期の頃の「花」といえば、「桜」でした。
桜も、長い冬を耐え忍んだ後に、春に花を咲かせます。しかし桜前線はあっという間に過ぎ去り、また、長い冬へと向かっていくのです。
桜は毎年、長い間を耐え忍び、満開なのはほんの1週間ほどです。それでも1年に一回の花見では、多くの人々の心を癒し、日本人にとって不思議な魅力を持ちます。
人生や仕事、恋愛も、そんな繰り返しではないでしょうか。目の前の失敗や苦しみに、苛まれてはいけません。いつか花咲く日まで、耐え忍ぶこと、努力を続けること。美しい生き方をしたいものですね。
素敵な話だったでしょ。。。
うん。。。なんか、儚いけど、儚さの中にある美しさみたいなものってあるよね。いい話だった!
コメント