幕末前夜はどんな様子だったのか
こんちは。最近、現実がつらく、歴史の世界に逃げて来たtazakiです。涙
何があったの、、、(^_^;)笑 まあ詮索はいっか、、、笑
そろそろ江戸時代も後半よ!
タイムスリップしてしまいたい。笑
いざ江戸時代〜!!!
一八三〇年から始まる天保年間は、幕末の動乱を予感させる時代となった。
幕藩体制が決定的に軋みはじめたのだ。
天保の大飢饉
まず、天保三年(一八三二)から凶作がつづき、天保の大飢饉となった。
この絵だけで餓死者とかがいたのがわかるよね。
これに対して、幕府はまったくの無策。
大坂では大商人らが米を買い占めて自分達だけ大儲け。
庶民たちは飢えに苦しむことになる。
そこで起きたのが、大塩平八郎の乱である。
庶民達のために立ち上がるのじゃ。私は大坂町奉行所の元与力(役人の上官の補佐)でした幕府の役人であったものの貧民救済のために門弟らと蜂起、大商人の屋敷を襲撃したのよ。
乱自体は半日で鎮圧され逃亡した大塩は後に爆死を遂げるけど、
それは幕府の体制を大きく揺るがしたの。
一石を投じる出来事にはなったんだね。決死の覚悟が歴史を動かしたんだ。
死にはしたけど、きっと本望だったろうね。
大塩の行動を真似る者が各地に現れ、越後では国学者・生田万(いくたよろず)が乱を起こした。
そのような不穏な情勢のなか、幕政改革を目指して新たに登場したのが、
老中・水野忠邦である。
天保の改革
水野が行った天保の改革は、松平定信が行った寛政の改革の徹底的な模倣だった。
寛政の改革につづいて、貨幣経済の伸展を無視して倹約を唱え、
風俗面の統制に乗り出して出版物の検閲を行った。
外国に対する恐怖
加えて、天保年間は、外圧が高まった時代でもあった。
話を少し戻すと18世紀末以来、外国船が日本近海に近づく頻度が増えていた。
そこ で、幕府は文政8(1825)年、異国船打払令を出す。
しかし、1840年アヘン戦争で大国・清の軍隊がイギリス相手に完敗したという情報が入ってくると、幕閣はたちまち列強の力を恐れるようになる。
打払令から政策を一変させて、
漂着した異国船に食糧や燃料を与えることを許可する新水給与令を出したのだ。
だが、その政策転換も問題を先送りしたにすぎず、幕府は外国船の接近にも無策なま ま、ペリーの黒船来航というXデーを迎えることになる。。。
ついに次は開国か。。。