明治新政府樹立まで
ついに文明開花の幕開けです
前将軍・徳川慶喜は西郷隆盛や岩倉具視らによって追い詰められ、西郷の挑発に乗る形で、ついに軍事行動を起こす。
戊辰戦争
鳥羽・伏見の戦い
慶応4(1868)年、旧幕府軍は大坂から京都に向かう途上、鳥羽・伏見で新政府軍と戦いの火蓋を切った(戊辰戦争)。
しかし、錦の御旗が出て新政府軍が官軍となると旧幕府軍は総崩れとなる。大坂城に籠もっていた徳川慶喜はここですべてを諦め、江戸へと逃亡した。
江戸城無血開城
新政府軍は徳川家を打倒するため東に兵を進め江戸城総攻撃をもくろむ。
その直前、旧幕臣・勝海舟と西郷の会談によって総攻撃は中止、江戸城は無血開城された。
江戸に代わって官軍の攻撃にさらされたのは東北や新潟の諸藩である。
とりわけ長州は禁門の変などで戦った会津藩を幕府に代わる標的にしようとした。
東北諸藩は会津藩への同情もあって奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)を結び新政府に対抗する。
とりわけ長岡藩は河井継之助の奮戦により新政府軍を苦しめるが最後には敗北した。
これは!白虎隊の会津藩!鶴ヶ城ですね
会津藩は白虎隊の自刃に象徴される凄絶な抵抗戦を繰り広げたのち降伏する。
戊辰戦争の終結
新政府にとって残る敵は箱館の五稜郭で北海道政権を構想した榎本武揚らであったが明治2(1869)年、榎本軍を降伏に追い込み一連の戊辰戦争は終結した。
北海道政権なんて構想があったんだね!
明治新政府は江戸を東京と改称して首都とし明治維新がスタートする。
新政府のスタート
すでに、明治天皇は五箇条の誓文を発し国のあり方を示していた。
新政府の基本方針は欧米の植民地化を防ぐため、富国強兵・殖産興業を推進することにあった。
欧米の近代化、産業化をモデルとして国立銀行を設立し、電信・電話や郵便のシステムを導入、鉄道の敷設も始めた。
外国人技師を積極的に招いて各地に官営工場を建設、その一方で徴兵システムを採用して軍備の充実を図った。
一気に近代化が進んでいく時代ですね。
私学の設立
教育にも力を入れ江戸時代のように民間の寺子屋まかせではなく官による学校教育を進めた。その一方で福沢諭吉の慶応義塾、新島襄の同志社などの私学も生まれている。