政党に代わって軍部が台頭した理由は?
1930年は世界的にも不安定な、第二次世界大戦へと向かう時代でした。
日本は、満州事変をきっかけに世界からの孤立が始まりました。
満州事変
昭和6(1931)年、関東軍(満州駐在の日本陸軍)の謀略によって、満州事変が起きる。
関東軍は、満州を対ソ連の防波堤とし、また権益を拡大するため、満鉄線路を爆破するという柳条湖事件を起こし、それを口実にして軍事行動を起こし南満州を制圧したのだった。
線路爆破するとかぶっ飛んだことするよな。てか市民の迷惑やろ!
それは政府の命令ではなく、関東軍の独断での軍事行動だったの。当時、それだけ軍部は止められなかったのよね。。。
当時の若槻礼次郎内閣は関東軍の行動を押さえようとするも、止めることはできなかった。 世論も関東軍に味方し、その行動を後押しした。
翌昭和7年(1932)、関東軍は、清帝国のラストエンペラーであった宣統帝溥義(ふぎ)を執政の座につけ、満州国を建国した。
建国したといっても独立国家というよりは日本の傀儡(かいらい)政権よ
傀儡政権って?
実質的には日本のような他国に支配されていたってこと。
満州事変による特需
この満州事変から満州建国までの過程で、日本は昭和恐慌から脱出する。
戦後まもなく、朝鮮戦争が日本経済復活の呼び水になったように、満州事変は日本経済に特需をもたらした。
国内経済が持ち直したこともあって、国民は関東軍を支持したのである。
国民からしたら結局、生活だわなあ。
しかし、関東軍の独断行動を許したことで、国家統治のルールは大きく崩れた。
統帥権を盾にした軍人の政治介入を許し、世の中は一気にきなくさくなる。
テロとクーデターの時代が始まったのだ。
クーデターの時代
まず、昭和6(1931)年には、三月事件と十月事件が起きた。
ともに政党内閣を打倒し、軍人による政権を打ち立てようとしたクーデター計画だったが、未遂に終わっている。
しかし、首謀者が処罰されることがなかったので、軍の規律は大きくゆるんだ。
五・一五事件
翌7(1932)年には、海軍の青年将校らによる五・一五事件が起きた。
「話せばわかる」とたしなめた犬養毅首相が射殺され、これで政党政治の時代は終わりを告げる。
軍部の発言がさらに強くなる。
二・二六事件
テロとクーデターの仕上げとなったのは、昭和11(1936)年の二・二六事件であ る。
陸軍将校らが兵を率いてクーデターを起こし、東京の永田町一帯を占拠、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣らを殺害した。
陸軍首脳はこの事態に対応できず、最後は昭和天皇の命令によってクーデターは収拾される。
これらのテロとクーデターによって、政党政治を支えていた政治家たちは命を失い政治家も軍部に対抗できなくなった。
さらに軍部の暴走が加速することとなるのであった。