ヤマト政権が作った巨大古墳
タイムトラベルできる歴女・彩葉(いろは)とtazakiは、古代日本をタイムスリップして旅している。古代の墓、古墳を訪れて当時の政権について考えている。
ヤマト政権とは
邪馬台国があったのが九州なのか畿内なのかはともかく、3世紀後半から畿内に大きな勢力があったことは確かよ。
それが、有力な豪族たちの集まりでできていたヤマト政権(昔は大和朝廷とも呼ばれていたけど)。
あ〜、聞いたことある。その政権が何なの?
巨大古墳
大仙陵古墳
ヤマト政権の大王たちは、巨大な古墳を作ったことで有名ね。その中でも最大なのが、大阪府堺市の大仙陵古墳。大山古墳、大仙古墳とも言われているの。
今日は大阪?たこ焼き!!お好み!!串カツ!!
この時代にあるわけないでしょ〜。
そして、そのヤマト政権が、日本統一へ向かう4世紀から6世紀までの時代を、古墳時代と呼ぶの。
さて着いた。ここが大仙陵古墳よ。
これあれだろ?前方後円墳てやつだろ!!しかし、でかいな〜!!どんだけでかいんだこれ。
そうそう!
ちなみに、長さは486メートルもあって、築造にはのべ680万人以上が動員されたと試算されてるのよ。
1日2000人が働いても、十年以上かかる計算になるな。。。てか当時にそんな建築技術があったなんてすごくないか?
そうよ!!さっき486メートルって言ったけど、底面積ではピラミッドよりも大きくて、世界的にも最大級の墓なの!
だから当時の倭国の土木技術は世界トップクラスと言われているわ。この築造に関わったのが、「土師氏(はじし)」という奈良県の豪族。
奈良、大阪の古墳群の近くには土師という地名もあって、一族が移り住んで地名に残ったと思われてるわ。
ヤマト政権の土木技術は世界の中でも当時トップクラスだったんだな。で、この古墳は誰の墓なの?
かつては仁徳天皇陵とされていたけど、今は別の大王のものと言われているわ。だから名前も、今は大山(だいせん)古墳と呼ばれているの。
古墳とは
豪族の墓
そもそも古墳は、水田を積極的に開発していた豪族たちが、開発地を一望できる場所にお墓を作ったのが始まりなの。そして豪族たちの力が強まると、「首長霊信仰」が生まれて、墓が巨大化したのよ。
ふーん。。。ていうか、豪族ってどんな人たちのことなの??首長っていうのはそのリーダー?
そうね〜。まず首長っていうのが、蘇我氏とか、物部氏のような中央政権で力を持ったり豪族をまとめてる人物のことで、豪族っていうのが、その「蘇我氏」とかの組織全体のことね。
首長の影響力は大きくて、その家の神に守られた唯一の存在なの。だから豪族たちに命令を下すことができる。死ぬと、首長霊の一員になって、次の首長を守る。
新しい首長は、先代のために、神に祀られるにふさわしい墓を作らなければならなくて、当時の最高技術を駆使して巨大な墓を作ることで、正当な後継者にふさわしい、と周りからも認められた。
はあー。豪族の組織って凄いんだな。そして信仰心が強いというか。。。大仙陵古墳以外の古墳も見てみたいな。
古墳時代はおよそ3世紀もあったからね。全国で20万基もあったと言われるのよ(^_^;)
もちろん、その大半は小さな古墳。あんな大きなものばかりじゃないの。都道府県でいうと、群馬県が1万基以上あると言われているの。
次に、広島県も1万基近くあると言われていて、中でも三次(みよし)盆地は、全国屈指の古墳密集地よ。
蘇我氏の墓
なんか面白い古墳ないの?有名人の古墳とか。
じゃあ、ここかな?
蘇我馬子の墓ということで有力なのが、奈良県明日香村の石舞台古墳。花崗岩でえ作られた玄室が露出している外観が特徴ね。
無人島の古墳
あのね!無人島に作られた古墳もあるのよ!!
なんでまた、そんな辺鄙な場所に?
淡路島から西へ200メートルにある沖ノ島の古墳なんだけど、こんな言い伝えがあるの。
ある天皇が、淡路島で猟をしたんだけど、全然獲物が獲れなかったんだって。
そこで、占い師が占うと、それは島神の祟りのせいで、鎮めるには赤石の海底の真珠を供えないといけなかった。
そこで、たくさんの海人が潜ってチャレンジするも失敗。ついに真珠を抱えてきた海人も、浮かび上がってきたときには息絶えていた。。。
その海人を称えて、天皇は墓を作らせて手厚く葬ったんだって。
祟りを鎮めるために、みんなのために命をかけて真珠を採りに行ったんだな。。。天皇もその心意気を認めて墓を造ってくれたんなら、浮かばれたろうよ。
古墳の内装
古墳って、中にもいろんな装飾されたたんだろ??
内部には石室(せきしつ)があり、石室には棺(ひつぎ)がおさめられ、その棺に死者がおさめられてるの。
他にも、色々な副葬品があって、古墳時代のはじめごろは銅鏡や銅剣とか。あとは埴輪(はにわ)、銅鏡には、三角縁神獣鏡(さんかくぶち しんじゅうきょう)などがあったのよ。
埼玉県の稲荷山古墳から見つかった鉄剣には、ワカタケル大王の文字が入った鉄剣も見つかっているわ〜。
ヤマトの大王はそれだけの強権を誇っていたのよね。
ふーん。どのくらいの範囲までその力は及んでいたの?
古墳時代の対外戦争
朝鮮半島にも及んでいるわ。朝鮮半島の高句麗とも戦っているって、中国吉林省集安市の広開土王(好太王)の碑文に書いてある。391年、倭国(ヤマト政権)の軍が海を渡って高句麗と戦ったの。
でも結局、ヤマト政権は朝鮮半島を支配していないよね。どこで失敗したの?
それは磐井の乱(527年)がきっかけね。
朝鮮半島での戦いが厳しくなって、大王が応援の軍勢を送り込もうとしたんだけど、筑紫国造磐井が興した反乱のことね。
それでヤマト政権は朝鮮半島で基盤を失って、撤退を余儀なくされたの。
そうか〜。。。早過ぎる拡大は、内部の反乱を起こすんだな。拡大がいいとは限らないことってあるよな。