江戸の文化の完成形「化政文化」
十九世紀の前半、文化・文政年間の文化は「化政文化」と総称される。
それは、江戸文化の集大成ともいえる。
武士の時代として始まった江戸時代だが、町人たちは大衆文化を生み出し、
文化面では主導権を握っていた。
19世紀の江戸の人口は、推定100万人にも達し、
江戸は当時、世界最大級の大都市に成長していた。
江戸には、その分、豊かな多様性があり、それが化政文化という町人文化として結実したといえる。
化政文学
まず、文化・文政年間には、多種多様な読み物が生まれた。
寺子屋の普及に伴って識字率が上昇し、町人にも文字を読める者が増えていた。
その結果、文化年間には、江戸の貸本屋が600軒を超えるほどに、町人たちは文字を通した娯楽を楽しむようになっていた。
娯楽小説
そのうち、まず好まれたのは、絵の入った読みやすい娯楽本である。
遊里の人情や滑稽さを描いた洒落本、庶民の生活をおもしろおかしく描いた滑稽本、男女の痴情を描いた人 情本などのジャンルだ。
十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝繰毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』は大ベストセラーとなって、旅行ブームの火をつけた。
また、為永春水(ためながしゅんすい)の『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』もヒットしたが、天保の改革で処罰の対象とな った。
絵のない読本(よみほん)
絵のない本では、上田秋成が『雨月物語』
滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』という後世に残る長編小説の作品を生み出した。
南総里見八犬伝は小学校の棚に置いてあった記憶がいまだにある。笑
絵がなくとも、おもしろければ、小説や物語が売れる時代を迎えたのだ。
こういう文学作品って現代語訳で読んで見たくなるよね
歌舞伎
歌舞伎も、町人らの人気を集め、鶴屋南北の「東海道四谷怪談』、
河竹黙阿弥の『白海五人男』などが話題を呼んだ。
美術作品
浮世絵が発達して、
鈴木春信は、多色刷ずりの錦絵を生み出した。
他にも代表作は多い。
喜多川歌麿の美人画、
葛飾北斎の「富嶽三十六景」や
歌川(安藤)広重の『東海道五十三次』、
東洲斎写楽の役者絵などがかかれた。
このほか,渡辺崋山の文人画,円山応挙(まるやまおうきょ)の写生画も有名。
司馬江漢(しばこうかん)は西洋画の遠近法をとりい、油絵や銅板画をえがいている。
庶民娯楽
お伊勢参り
伊勢神宮への参詣が増え、お蔭参りと言われる。
この時代は、寺社参詣や、西国への巡礼に出かける人が増え、奉公人が主人に、または子供が親にバレないように抜け出して参る程、伊勢神宮は誰もが一生に一度は行きたい場所だった。
日本地図の作成
伊能忠敬が日本地図を作成したのもこの頃である。
伊能忠敬以前の日本地図はこのレベルである。大日本輿地全図略(1853)
そして、伊能忠敬が作った地図がこちらである。
大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)は、「伊能図(いのうず)」とも称される。完成は文政4年(1821年)。
まとめ
このような町人文化の隆盛は、経済的に困窮した幕府・武士にとっては目障りなものであり、幕府はたびたび弾圧した。
ところが、弾圧してもなお、町人文化は爛熟しつづけていく。。。