江戸時代の三大飢饉の被害状況
2018年は本当に災害の多い年でした。しかし歴史的にはさらに過酷な飢饉にみまされた時代もあります。それはどれほど悲惨だったのでしょうか。
江戸時代3大飢饉
江戸の「三大飢饉」といえば、享保の大飢饉(1732〜3年)、天明の大飢饉 (1782〜7年)、天保の大飢饉(1833〜6年)の3つ。
もっとも被害が大きか ったのは、天明の大飢饉である。
異常気象による冷害に加え、岩木山(現在の青森県)、浅間山(現在の長野県)の大噴火が重なって、とくに東北地方に大凶作をもたらした。
米や野菜はたちまち不足し、人々は牛や馬、犬、草木の葉や根まで食べることになった。さらに疫病まで流行して、全国で30万人以上が死亡したとみられる。
子供を食べたこともあった
『解体新書』で知られる杉田玄白も、その悲惨な様子を記録している。
津軽や南部藩では、飢えた大人たちが子どもを殺し、頭蓋骨を割って脳みそをかき出し、それを草や葉にまぜて食べたと書き残しているのだ。
ほかにも、空腹で半狂乱になった大人が子どもを殺して食べたという例は多くの書物に記されている。
流石に写真は載せられなかった。。。。
幕府は無対策
それほど事態が悪化した原因は、幕府が東北地方の被害に対しては何の対策も講じなかったことである。
東日本大震災の時なら支援物資が全国から運ばれてきたよね。
しかし、比較的余裕のあった西日本から東北地方へ、食糧が運ばれることはほとんどなかった。幕府が有効な手を打っていれば、東北地方の餓死者の数ははるかに少なかっただろう。
享保の大飢饉
ちなみに、享保の大飢饉では、冷夏と、収穫前の米を食べてしまうウンカなどの害虫大量発生によって、四国、中国、九州を中心に凶作に見舞われおよそ250万人の人が飢えに苦しみ、約1万2000人の餓死者が出たという。
天保の大飢饉
また、天保の大飢饉は、冷害や洪水によって東北地方を中心に飢饉が広がった。天明の大飢饉を経験していただけに、幕府も今度は救済施設を設けるなどして対応。約70万人がそれらの施設によって救済されたと伝えられている。
まとめ
江戸時代みたいな飢饉はないにしても、北海道胆振地震のように、コンビニやらスーパーやらがストップしてガソリンもなくなれば、何も食べるものは無くなります。
まして地震など今はどこでも起こり得ます。
非常事態の準備などは絶対にしておきたいですよね。
最近では乾パンとかだけでなく、栄養士監修の非常食セットなんかも売っているようです。