イギリスとフランスによるロゼッタストーン解読競争
ロゼッタストーンとは?
3言語により書かれていた
ロゼッタストーンとは、1799年にフランスのナポレオン軍がエジプト遠征の時に発見したものです。
古代エジプトのヒエログリフ(象形文字)、デモティック(草書体)、古代ギリシア文字の3言語で書かれていました。
4世紀頃からエジプトでも読み手がいなくなってしまったヒエログリフは、1500年ほどの間、解読不可能と言われていました。
しかし、3つの言語で同じ文章が書かれているロゼッタストーンが見つかった事で、解読の大きな鍵となったのです。
まさに歴史的発見でした。
古代ギリシア文字は、詳しかった言語学者も多く、数年で解読にまでこぎつけますが、
残りのヒエログリフとデモティックの解読は難しく、長い時間がかかることになります。
ちなみにヒエログリフは王族が使う神聖文字、デモティックは市民が使う民衆文字でした。
イギリスとフランスがヒエログリフ解読競争を繰り広げていた
イギリスがロゼッタストーンを奪い取る
エジプトのナポレオン軍はイギリスに攻め込まれます。ナポレオンは、エジプト現地の将軍に
「ロゼッタストーンは絶対に守れ」
と命令しました。しかし、結果はイギリス軍に奪い取られてしまいました。現在はイギリスの大英博物館にあります。
解読競争が始まる
ロゼッタストーンはイギリスに奪われたものの、フランス軍もちゃんと写しを取っていました。
ここから解読競争が始まります。
当初は簡単にできると思われたが、解読は難航。
多くの言語学者でも太刀打ちできないほどにヒエログリフの解読は困難でした。
ヒエログリフはそれが絵なのか文字なのかも判別がつかないような文字で、
しかもヒエログリフが一番残っていた部分が少なかったのです。
天才語学少年現れる
これを解読したのが、フランスのジャン=フランソワ・シャンポリオンです。
彼は16歳ですでに12言語に精通していた天才語学少年でした。
彼はナポレオンの大ファンだったとも言われます。
彼が解読できたのは、表音文字と表意文字の2種類があることに気づいたからだと言われています。
さらに、それに気づいたのは、フランス人でありながら漢字も知っていたから(漢字には表意文字がある)と言われています。
また、ヒエログリフには発音しない文字がありました。
英語にはそういう文字がなく、イギリス人は苦戦しましたが、フランス語にはありました。
この点も彼の有利だった点です。
しかし、彼も簡単に解読したわけではありません。
なんとなんと10代で解読開始し、解読に成功したのは32歳の時だったのです。
そして彼の成功の裏には、12歳年上の兄がいました。
彼は弟の才能をいち早く見抜いており、シャンポリオンの少年時代には家庭教師をし、青年期には、教育のために資金援助をしていました。
そんな兄の存在があってこそ、天才シャンポリオン青年は成功できたとも言えます。
古代エジプトの謎がどんどん解読されるようになる
シャンポリオンのその後
シャンポリオンの解読により、他のヒエログリフの解読の一気に進み、古代エジプトの歴史に謎が解明されていくようになりました。
今日では、彼は「古代エジプト学の父」と呼ばれています。
彼はライバルを蹴落とすような考えを持たず、とにかく語学に打ち込むまっすぐな青年でした。
そんなシャンポリオンの生涯に興味が湧いた方はこちらの書籍。
ロゼッタストーンの内容
苦労して解読されたロゼッタストーン。
その内容はというと、プトレマイオス5世の時代の「法令」だそうです。
詳しく知りたいという方は、以下のサイトが日本語訳を載せてくれていますので、ご覧ください。
ロゼッタストーン解読秘話をより詳しく知りたい方はこちらの書籍。
シャンポリオンは解読に成功した後、「とうとうやった! 」と、兄に向かって叫んだ彼は意識を失ったそうです。
これにより明らかになっていった古代エジプトの歴史についてより詳しく知りたい方は、こちらの書籍からもどうぞ!
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