江戸時代のラブホテルは命懸け?

日本史

ラブホの歴史!江戸時代の事情は?

tazaki
tazaki

いや〜、嫁が最近冷たい。。。

彩葉
彩葉

マンネリ?たまにはおしゃれなお店とか連れて行ってあげてる?

tazaki
tazaki

レストランは行きました。あれかな、旦那より子供子供になって、母になっていってしまうんだろうな、、、まあそれは置いといて、

ここではラブホの歴史に迫ります。

江戸時代のラブホテルは、「出合茶屋」と呼ばれていた。

出合茶屋の始まり

江戸には、まず番茶を飲ませる「茶屋」 が生まれた。その茶屋が料理を出す料理茶群 屋などさまざまに発展するなか、

男女の逢い引き用に業態を特化したのが、出合茶屋である。

出合茶屋は、現代のケバケバしいラブホテルと違って、一見料理茶屋を装っていた

tazaki
tazaki

昔はあんまり堂々と「ラブホ感」丸出しの看板なんて掲げてられないよね。笑

「料理処」という看板を掲げている店もあり、どの店も本当に食事を出した

彩葉
彩葉

本当にお料理屋さんと変わらないんだね〜!

中は、 数寄屋風の二階建てになっていて、裏にも出入り口があった。

部屋代、食事代を合わせた料金は、一分程度、今の二万円ほどだった。

tazaki
tazaki

うーん、食事付きとはいえ今より高いよな、、、

やっぱ、僕は使わないかな〜

彩葉
彩葉

なに使うかどうかの想定してんの。笑

出合茶屋は、神社や寺院の門前に多く、とくに上野の不忍の池周辺は、出会い茶屋のメッカだった。

tazaki
tazaki

上野はラブホあるイメージ!笑

現在、近くの湯島界隈にラブホテルが多いのはその名残といえる。

この地域の出合茶屋は、不忍の池には蓮が群生しているところから、「蓮の茶屋」あ るいは「池の茶屋」と呼ばれた。

出合茶屋の利用者

出合茶屋を利用したのは、おおむね人目をはばかるカップルである。

未亡人と若い男、御殿女中と歌舞伎役者といった組み合わせだ。

当時、不義密通は重罪であり、死罪となる危険もあった。

それを知ったうえで、彼らは命を懸けて出合茶屋を利用したのだ。

tazaki
tazaki

へ〜。。。

法も厳しいけど、それでも人は愛に燃えるんだな。

 

彩葉
彩葉

いつの時代も、恋愛のパワーってすごかったのね。

田崎くんも奥さんに愛想尽かされないように頑張りなよ〜。笑

 

tazaki
tazaki

余計なお世話やwww

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