ラブホの歴史!江戸時代の事情は?
いや〜、嫁が最近冷たい。。。
マンネリ?たまにはおしゃれなお店とか連れて行ってあげてる?
レストランは行きました。あれかな、旦那より子供子供になって、母になっていってしまうんだろうな、、、まあそれは置いといて、
ここではラブホの歴史に迫ります。
江戸時代のラブホテルは、「出合茶屋」と呼ばれていた。
出合茶屋の始まり
江戸には、まず番茶を飲ませる「茶屋」 が生まれた。その茶屋が料理を出す料理茶群 屋などさまざまに発展するなか、
男女の逢い引き用に業態を特化したのが、出合茶屋である。
出合茶屋は、現代のケバケバしいラブホテルと違って、一見料理茶屋を装っていた。
昔はあんまり堂々と「ラブホ感」丸出しの看板なんて掲げてられないよね。笑
「料理処」という看板を掲げている店もあり、どの店も本当に食事を出した。
本当にお料理屋さんと変わらないんだね〜!
中は、 数寄屋風の二階建てになっていて、裏にも出入り口があった。
部屋代、食事代を合わせた料金は、一分程度、今の二万円ほどだった。
うーん、食事付きとはいえ今より高いよな、、、
やっぱ、僕は使わないかな〜
なに使うかどうかの想定してんの。笑
出合茶屋は、神社や寺院の門前に多く、とくに上野の不忍の池周辺は、出会い茶屋のメッカだった。
上野はラブホあるイメージ!笑
現在、近くの湯島界隈にラブホテルが多いのはその名残といえる。
この地域の出合茶屋は、不忍の池には蓮が群生しているところから、「蓮の茶屋」あ るいは「池の茶屋」と呼ばれた。
出合茶屋の利用者
出合茶屋を利用したのは、おおむね人目をはばかるカップルである。
未亡人と若い男、御殿女中と歌舞伎役者といった組み合わせだ。
当時、不義密通は重罪であり、死罪となる危険もあった。
それを知ったうえで、彼らは命を懸けて出合茶屋を利用したのだ。
へ〜。。。
法も厳しいけど、それでも人は愛に燃えるんだな。
いつの時代も、恋愛のパワーってすごかったのね。
田崎くんも奥さんに愛想尽かされないように頑張りなよ〜。笑
余計なお世話やwww