元禄時代の幕府政治や文化

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元禄文化の時代はどんな世の中だったのか

この前の話
なぜ江戸幕府は鎖国体制を敷いたのか
徳川幕府の鎖国の狙いや意図は? 前の話はこちら 豊臣政権時代から徳川幕府の初期にかけて、 いわゆる「鎖国」政策が進められていきます。 鎖国はいつから行われたのか 日本はある日突然、国を閉ざしたわけで...

 

徳川幕府は、豊臣政権の目指した国内平和の構築路線を継承した。

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武家と朝廷の統制

江戸幕府は巨大な権力をもち、

大名や朝廷に様々な規制を設けた

 

参勤交代制度

大名には、領国と江戸を往復する参勤交代を義務づけた。

江戸の滞在費と旅費は各藩の財政に重くのしかかり

大名、とりわけ遠国の外様大名の力を削ぐことにつながった。

その一方で、江戸や街道筋を富ませるという結果を生んだ。

 

彩葉
彩葉

参勤交代は経済的にもかなりきつい仕事だったの。

広い全国を統治するために、定期的に参勤交代させて

反乱を起こさせないように経済力を削ぐ役割もあったと言われるのよ。

 

さらに大名には武家諸法度

朝廷には禁中並公家諸法度を発布し、武家と朝廷を統制した。

 

武家諸法度

武家諸法度では、一国一城令を発表し、

各大名は城を1つまでに制限したり、

幕府の許可のない大名同士の結婚を禁じて

大名の強大化を防いだりするような

厳しく取り締まる法律を作りました。

tazaki
tazaki

徳川世間を脅かすような力ができないような法律って訳だ。

公家諸法度

公家諸法度は、天皇の職務をは学問を第一とするなど、

歴史上始めて天皇の行動を規定し、

公家に官位を与える際も幕府の同意をさせるなど

朝廷を細かく規制する内容だった。

禁中並公家諸法度が制定された背景

公家諸法度は、実質的な政治権力さえ、

幕府にあると認めさせる内容だった。

tazaki
tazaki

そもそも、征夷大将軍の地位は、朝廷に認められたからこその立場なのに、

なぜ、朝廷まで抑えられるほどに立場が強くなったの?

彩葉
彩葉

諸国の大名を統制させるために、将軍の力を強めなければいけなかったから。と言うのが一つの大きな理由よ。

朝廷にしても、全国の諸大名を力で押さえつけるために、

将軍に力を与えざるを得なかったのだが、

政治権力を奪われるほどに幕府の力はは強大化した。

これが、江戸幕府260年の平和と安定の基盤を作ったのだ。

 

由井正雪の乱

幕政が安定していく一方で、

慶安4(1651)年には由比正雪の乱が起きた。

 

当時、 幕府は支配力を強めるため、

大名を次から次へと取り潰していた。

 

そのため、大量の浪人が生まれ、

それを憂えた軍学者・由比正雪が幕府転覆を計画するが、

事前に漏れて反乱は不発に終わる。

tazaki
tazaki

徳川政権に一矢報いようとするも失敗したのか。。。

以後、幕府は大名の処分を徐々に緩めたので、

不満の芽はしぼんでいった。

生類憐みの令は天下の悪法?

貞享4(1687)年、五代将軍・徳川綱吉は

生類憐みの令を発し、犬や生き物の虐待を禁じた。

これは、天下の悪法、奇法とされるが、

「当時の為政者としては、世の中の荒々しい気分を静めよう!」

という政策的な意図があった。

彩葉
彩葉

綱吉のさらなるびっくり法案の記事はこちら

自分の娘の名前の漢字の使用を禁じた、驚きの法律とは!?
徳川綱吉の「鶴字法度」 徳川綱吉と言えば、「生類憐みの令」という『天下の悪法』との呼び声高い法が有名です。 動物を殺生したら罰します、という動物愛に溢れた法律ですね。 犬、猫、鳥、魚類、貝類、虫類などにまで及んだそうです。 ...

元禄時代の始まり

この綱吉の時代は、元禄時代と呼ばれ、

平和な江戸時代の中でも特に治世の世だった。

 

彩葉
彩葉

なが〜い日本史の中でも、元禄時代はかなりの治世

平和な時代だったのよ〜。

 

徳川政権が誕生して初めて安定を得られた時代でもあり、

ここから江戸の長い平和が始まったのである。

経済の発展

平和な時代にあって、

日本列島では河村瑞賢らによって海運が発達し

江戸・大坂間はもちろんのこと、日本全体で物流が盛んになった。

上方の発展

伏見や灘で造られた清酒が、江戸に届くようになった。

その一部の経済的繁栄を背景にして、元禄文化が花開く。

tazaki
tazaki

平和と共に経済や文化が発展したんだな〜

元禄文化の中心となったのは、

江戸よりも早くに都市化していた大坂である。

元禄文化の特徴としては、

京都や大阪の町民を主体とする文化だった点にある。

彩葉
彩葉

町民にまで幅広く広がったのが特徴ね。

以下に元禄文化を代表する作品を並べました!

元禄時代の文化

寛永期(1624年から1645年)に上層町人によって生み出された芸術が

元禄の世では一般町民にまで広まり、逆に庶民の間に生まれた文化が上層町民や武家にまで及んでいく。

 

幕府政治が安定し、町人の台頭がめざましくなってきた時にその文化を担ったのは町人であり、庶民の読む文学が興隆した。

 

浮世草子

井原西鶴は浮世草子という、今の小説に近い物語を書きました。

 

代表作品は『好色一代男』『日本永代蔵』といった浮世草子を著し、

町人が、慎ましい暮らしをして次第に、金持ちになることや

世の中を思うままに楽しんで暮らす話などを優れた文章で書いています。

人形浄瑠璃

またこの頃、人形を使って三味線に合わせて語る人形浄瑠璃や

人形の代わりに役者がやるようになった歌舞伎が盛んになってきました。

近松門左衛門は『曾根崎心中』『国姓爺合戦』などを描いて人気を集めた。

 

俳句

俳諧は、室町時代に栄えた連歌から生まれ、

俳句はその俳諧から生まれたものです。

もともと遊び半分の内容を持っていましたが

松尾芭蕉が、俳諧を芸術の高みに押し上げた。

 

tazaki
tazaki

松島や あゝ松島や 松島や、、、のやつね。

浮世絵

また、記念切手の第1号でもある「見返り美人」。

この作者である菱川師宣によって

浮世絵が創始されたのもこの時期だ。彼は浮世絵の祖とも言われた。

 

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