一休さんの本当の姿は乱れた生活をしていた?

一休さんの愛称で知られる臨済宗大徳寺派の禅僧・一休宗純。

一休さんといえば、大きな目にクリクリ坊主、機転の利いたかわいい小僧が目に浮かぶが、実際には風変わりな格好を好み奇言奇行を繰り返す相当な変わり者だった。

仏教での禁止行為を繰り返す

一休は僧でありながら木刀を差して街を歩き回り、仏教で禁じられている飲酒や肉食、また女も平気で犯した。

しかも隠れてするのではなく公然とである。

だが、一休があえて衆人たちの目に触れるように破戒行為をしたのには、ある狙いがあった。一休がただの変人で終わらなかった理由があるのだ。

変態行為が共感を呼ぶ

当時、京都五山の禅僧たちには権力におもねり、五山文学などにうつつを抜かす風潮が蔓延。

仏教の形骸化が懸念されていた。また、表面だけはイイ顔をして裏では堕落・退廃した生活を送る虚飾や偽善に満ちた禅僧が増えはじめていたのである。

こうした状況を目にした一休は、自身が「乱れた行為」を人目に曝すことで、堕落した禅僧たちを痛烈に批判したのである。

そして、このままでは仏教が風化してしまうということを身をもって僧たちに知らしめたのだ。

少し間違えれば「変人」とも思われ兼ねない行動を、「仏教の伝統を守るために堂々と行なった一休。

この形式にとらわれない人間性が民衆の共感を呼び、のちにかの有名な「一休頓智話」を生み出したのである。

一休の言葉「死にとうない」

死にとうない

1481年、一体は臨終の際にこのように言ったと伝えられている。

生涯をまっとうした 一休の気持ちがよく伝わるひと言だ。

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