坂本龍馬が成し得なかった 蝦夷地開拓計画

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人物
この記事の所要時間: 335

蝦夷地開発を夢見ていた坂本龍馬

 

tazaki
tazaki

坂本龍馬といえば、日本初の海運商社「亀山社中」を創設したよね。

それと関係があるのかな?

彩葉
彩葉

もちろん、大ありだよ!!

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1度目は池田屋事件で失敗

 

土佐の人たちが蝦夷地に興味を持ったのは安政年間。

函館と下田に米領事館が設置されると、

土佐藩からも北方視察に行く者が登場。

 

そして彼らの視察話を聞いた龍馬は、

蝦夷地の開拓を夢見るようになったという。

だが実施直前に発生した池田屋事件により、

計画は中止に終わる。

 

tazaki
tazaki

池田屋事件といえば、池田屋に集まっていた尊攘派の志士たちを

新撰組が奇襲した事件だよね。

彩葉
彩葉

松下村塾の吉田稔麿など多くの志士が闘死してしまったのよね。。。。

龍馬の夢は呆気なく海底へ

それでも龍馬は夢を諦めなかった。

だが、脱藩後の龍馬など、事実上の失業状態。

 

そんな龍馬を見た木戸孝允は、

下関の本陣・伊藤家に寄寓(きぐう)させ、

商売をさせようとしたのである。

 

当時の下関は、秋には北国の物資を積んだ北前船が集まっていた。

また、蝦夷地から日本海を西回りし、下関から瀬戸内海に出て大坂へと抜ける北前航路も繁栄し、何かと蝦夷地との繋がりがあったのだ。

 

tazaki
tazaki

全くの未開の地という訳ではなかったんだね。

木戸にチャンスをもらった龍馬は下関を本拠に移し、

ふたたび蝦夷地開拓を試みたのである。

坂本龍馬
坂本龍馬

蝦夷開拓へ向かうぞ!!!

龍馬は妻を長崎から呼び寄せ着々と計画を進めていく。

そして北行の船としていろは丸をチャーターする。

いろは丸とは?

いろは丸は1862年、イギリスで建造され、1866年に、オランダ人から大洲藩郡中奉公である国島六左衛門が購入する。

彩葉
彩葉

私の名前とは関係ないよ!!笑

そして1867年、大洲藩が坂本龍馬に貸与したのだ。

大坂に物資を運ぶため に長崎を出港する。

海援隊の武器などを積載したいろは丸が

鞆の浦沖の六島付近で、紀州藩船である明光丸と衝突し

初航海にして、なんと沈没してしまったのだ。

結局、 この年の末に龍馬は暗殺され、夢が実現することは未来永劫なくなってしまったのである。

いろは丸は沈没とともに、この船に託されていた龍馬の蝦夷地開拓の夢も、儚く散ることとなったのだ。

しかしこの事故当時の龍馬は紀州藩に対して、、、

坂本龍馬
坂本龍馬

日本にこれからこの種の衝突事故が増えてくる。

そのよき先例とするために、両者だけのいいかげんな妥協は致すまい、ということです。

全て法と公論による。あくまでそれを原則として解決してゆく。ご異存はござるまいな。

などと言い、法による解決を強調した。

紀州藩は無論のこと、全ての日本人は万国公法などは知るまい。海事裁判という概念も知らないだろう。それを教え込み、説き伏せ、ねじふせ、その上で賠償金をとり、日本の海難事故に、「法」というものを打ちたてようとするのが、この瞬間から燃え上がった竜馬のエネルギーであった・・・(竜馬がゆく7巻より)

彩葉
彩葉

このようにして龍馬は、国際法に則り、航海日誌の調査をさせるなど、、紀州藩と裁判で戦って勝ったそうよ。まだそのような慣習がなかった日本で、龍馬は先進的な「法律という武器」を身につけていたと言われているわ。

tazaki
tazaki

本当にすごいよな。

有名な歴史小説「竜馬がゆく」の7巻では、その当時の様子が詳細に描かれていてすごくリアルだったよ。

 

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